今年こそは絶対に渡そうと、今までで一番奮発したチョコレート。毎度チャレンジしては負けていたナックルシティで一番人気のパティシエが監修しているバレンタインチョコの予約戦争。今度こそはと、たった一瞬の為に有給休暇を申請してまで参戦した成果は十二分にあった。時間もお金も費やして、勿論それはメイクにも。一等着飾ったつもりだったけれど、結局無駄に終わってしまった。
たまたまタイミングが良いやら悪いやら、聞いてしまったのだ、ダンデさんとの会話の一部を。バレンタインに告白すると、キバナさんははっきりとそう言っていた。盗み聞きではない、決して。けれど結果的に、はたから見れば盗み聞き。それでも、振られる覚悟で伝えるつもりでいたはずが、いざ直前になって足が竦むなんて情けない。
夕暮れ時、行き交うのはカップルばかり。これからディナーにでも行くのだろうか。広場のベンチで一人ポツンとぼっちのわたし。
渡すはずだった箱を袋からだして、包装紙に爪を引っ掛ける。一瞬躊躇う。その躊躇いを踏み潰して、思い切りグシャリと綺麗に飾られていたラッピングを剥ぎ取った。はぁ、こうしてしまってはもう絶対に渡せやしない。キバナさんに、不完全なものなんて渡せないもの。蓋を開ければ宝石のようにキラキラとしたチョコが数粒。たった数粒、金額を思い出してはため息しかでない。そのため息を押し込むように、一粒つまみ、口に放り込む。美味しい、流石ナックルシティで一番人気のパティシエ監修のチョコレートだ。けれどこのチョコレートはキバナさんの口に入るからこそ価値のあるものだった。わたしの口へ粗雑に放り込まれたこれに、もう金額の価値すらない。舌の上でゆっくり転がしながら、チョコレートの皮が薄くなったであろうタイミングで歯をたてた。じわりと広がるアルコールの香り。しまった、今日は車で来ていたのに。

「隣、いいか?」

頭上から聞き慣れた声に反して、見慣れないスーツ姿のキバナさん。髪も、いつもとは違う結び方で言うまでもなくかっこいい。片手には、花束。これから想い人に会いに行くのだろうか。そんな事を考えながら俯いて、小さく頷く。

「約束?」
「いいえ、約束は、していなくて」

隠しそびれたチョコレート。その箱を掴んでいた指先に、思わず力が入る。箱が僅かに歪む。
察しのいいキバナさんの事だから、手元のこれだけで状況は恐らく把握済みだろう。まさか、相手が自分だとは思うまい。通りがかりにいるものだから、きっと心配をして声をかけてくださったのだ。

「カントーは女の子が好きな人に、チョコを送る日なんだっけ」
「…はい」
「女の子からチョコ貰えるなんて羨ましいな」
「そうですかね、毎年大変ですよ」
「毎年?」
「…毎年、渡せてないので」
「…そうか」

失言。しまったと思った。それなのに誤魔化す気力も無くて、キバナさんを困らせてしまった。胸が苦しい。
人通りも少なくなってきて、わたしはいよいよどうやって帰ろうかと頭の隅で考えていた。歩いて帰る元気はない、他力本願万歳、ガアタクにしよう。

「オレも。好きな奴がいたみたいでさ、渡せなかった」

傍に置いていた花束にキバナさんが触れ、カサリと乾いた音が鳴る。キバナさんから花束を貰えたなら好きな人がいようと、どんな女の子だって悪い気はしないだろうに。その子はなんて贅沢なのだろう、と一瞬過ぎったが、そうではない。その子にとっての特別がキバナさんではなくて、別の誰かだっただけなのだ。

「わたしはガラルの方が羨ましいです。貰う側に、わたしもなってみたい」

毎年この季節が近づくにつれわくわくして、結局渡せなくて落ち込んで。また想いを内に秘めたまま一年接して過ごして、その繰り返し。一方的にドキドキして勝手に一喜一憂してる。
でも、それも今日で最後。キバナさんに好きな人がいると分かってしまった以上、わたしの出る幕はない。今がタイミングじゃないだけで、キバナさんとその人が上手くいくチャンスが巡ってくるかもしれない。気落ちしているキバナさんの心情につけ込むような事もしたくないし、なんて、そうやって言い訳を重ねて、穏やかな関係が壊れるのをわたしは一番に恐れている。

「ならさ、これ、貰ってくれる?」

その言葉に、ずっと俯いていたわたしはついに顔をあげ、隣に座るキバナさんを見つめた。顔を見るまでは冷静だった。けれど顔を見た途端、こみ上げてくる涙を堪えることができなかった。

「ほ、他の子に、あげるつもりだったものを貰っても、うれしくない、っ」

だってそれは、キバナさんがその子の事を考えながら選んだ花だ。わたしじゃない、そんな言葉聞きたくなかった。貰える側になってみたいと言って、わたしが言わせたようなものなのに、また勝手に傷ついて。震える声に、最後の方は聞き取ることも難しかったと思う。
あぁ、全部台無しだ。
キバナさんの立ち上がる音。呆れてしまったのだろうか、むしろそうであってほしい。見捨てて帰ってくれて構わない。溢れ出る涙を制御出来ずに折角のメイクもボロボロ。今のわたしは無理やりに剥いだ、このチョコレートのラッピングと同じ。

「ねぇ、それ、どういう意味?」

目の前で、ジャリ、と音がしたかと思ったら、キバナさんの近い声に心臓がはねる。頭上からじゃあなくて、同じ目線の高さから聞こえる声。身を屈めているのか、わたしは余計に顔を覆う両手に力を込めた。

「俯かないで」

少し力を込めれば簡単に起き上がらせる事が出来るだろうに、嫌々と首を横に振ると、両腕に大きな手を添えるだけで許してくれる。優しいこと、皆知っている。皆に優しいこと、わたしは知っている。

「教えてほしい」

甘えるような声で言う。ずるい。キバナさんは存外甘え上手で、甘やかすのも上手で。

「そのメイクも、この服も、指先のネイルも、全部オレのため?」

知られてしまうならちゃんと告白をしたかった。何もかも自分の招いた結果なのだけれど、こんな形で知られてしまうなんて、悔しい、惨めだ。
なぁ、お願い、顔が見たいと何を催促されても首を横に振るわたしの手の甲に、柔らかな何かが触れる。一度、二度、三度目の、ちゅ、と微かな音に驚き、身を竦めて後退る。といってもベンチの背凭れに阻まれて限界はあった。逃げ場はない。涙も引っ込み、目を見開いて見たキバナさんは、少し意地悪そうに笑っていた。

「今日のは一段と可愛いから、オレさまの知らない男の為かと思うとたまらなくて腹わた煮え繰り返ってた所なんだけれど、期待してもいいってことだよな」

期待していいのかって、逆にわたしが聞き返したい。
膝から落ちそうになったチョコの蓋を慌てて閉めた手首を、大きな手に掴まれる。

「お願い、このチョコを送る相手、オレに教えて」
「いや、いやです、やり直したい」
「どうして?」
「折角のラッピングも、破ってしまって」
「このままでいい」
「よくない、」
「じゃあ言い直す、このままがいい」
「よくないですっ、メイクも崩れて酷いの、分かってますから」
「そんな事ない、大丈夫、可愛い」
「か、かわいいわけ、ない」
「可愛いよ」

全部このままがいいんだと、キバナさんは何故か嬉しそうに笑う。の口で教えてくれ、誰の為に選んだチョコなのか、そこに意味があるんだと言われてしまったら、他の子にあげるつもりだった花束は嬉しくないと泣き出したわたしには、素直に答えるしか手立てはない。真冬の外にいるはずなのに、顔が熱くてたまらない。言葉ではなく、穴が開きそうなほどの視線がジリジリとわたしを急かし立てる。その視線から逃れたいのに、交わったそれを外す事ができずにいた。苦しい、息が詰まる。想いを告げるってこんなに苦しいものだったのか。これなら諦める方がずっと簡単だと思えた。楽な方に逃げていた自分が、恥ずかしい。

「わたし、これ、」
「うん」
「っ、き、キバナさん、に」

キバナさんの大きな瞳が揺れる。目元を潤ませるキバナさんに、今度はわたしが笑う番だ。でも、また泣き出すのはわたしの方だった。

「奇遇だな、オレさまの花束の相手も、だよ!」









片思いの最後の日














2021/02/14