浴衣からいつものラフな格好に戻ってからも、は何度か携帯を取り出しては小さな画面と睨めっこを繰り返し同じリズムで操作してみせる。着信音は決まって同じメロディで、メールの相手は同一人物だということが分かる。心底鬱陶しそうな表情をするくらいなら初めから受け取らないように着信拒否にでもすればいいのに。もしも仮にがそう思ったことがあったとしても実際に実行に移さず、きちんと受け取り内容に目を通す辺りが、らしい。









しつこいメール









「そんなにしつこい相手なの?」

佳主馬の声にずっと携帯を弄っていたが、ようやく佳主馬を見た。PCのキーボードを打ち自分の作業に集中しているように見せかけて、実はが携帯のキーを押す音が気になって仕方なかった。視線がぶつかると暫しの沈黙、先に視線を逸らしたのはやっぱり佳主馬で、PCのディスプレイに視線を戻す。納戸にはと佳主馬が二人きり。リビングやダイニングなどの広い空間での二人きりならよくあることだったが、このあまりにも狭すぎる空間の二人きりは精神的に堪える。近すぎる距離感も、平静でいられなくなる要因の一つ。

「はっきり言えばいいのに」

メールの相手本人が居ないことをいいことに、明らかに迷惑ですという表情で、わざわざ着信を伝えるメロディが鳴ってはそれに応えるに不満を感じる。それはつまり、にもその気が100%とは言わずとも多少はある、ということなのだろうか。そんな相手とは一体どんな人なのか、気になり出したらとまらないし、考え出したらとまらない。ペットボトルのラベルについているリサイクルのマークのように矢印がぐるぐると回り続けて思考をとめる術が見つからない。

「言ってるんだけどね」

のことだ、そうだろうと分かっていながら佳主馬も言ってみた。

「その人、よっぽど姉ちゃんのことが好きなんだ」
「…えぇ? いや、それはない」
(え、何その反応)

何言ってるのというの反応に、慌てて佳主馬は振り返った。声色通りきょとんとした表情のが佳主馬を見つめていて、自分の記憶違いではなかったはずなのだけれどと眉間に力が入る。は間違いなく、男なのかという佳主馬の問いに似たようなものかな、と答えたのだ。

「…あー…」

は少々考え込むように難しい顔で天井を見上げる。それから一度俯くと、ちらちらと何度か佳主馬を盗み見る。どうやら様子を伺っているようだ。例えていうなら言ったら怒られるかなどうしよう、と母親の様子を観察している子供。佳主馬とのやり取りを思い出し、何か手違いというか不足だった部分が少なからずあったのだろう。

(無自覚って罪、だよね)
「えーと…」
「言いなよ」

いかにも申し訳なさそうにされては怒る気にもなれない、というよりが佳主馬を怒らせてしまう程のことを仕出かすとは思えない。もしもが佳主馬を怒らせるようなことを仕出かしたとしても、佳主馬はを怒れる気なんて全くしなかった。存在を視界に入れてしまえば、何もかもがちゃらになってしまう気がした。まだ佳主馬にはよく分からなかったが、きっとそれが世間でよく聞く惚れた弱み、というやつなのだ。

「あたしの言い方が紛らわしかったね、ごめん」

説明する口を動かしながらも再び手元の携帯を操作する。忙しなく動く親指と視線は懸命にが目的とする何かを探しているようだ。

「PCに届いたメールが一定時間開かれなかったら、携帯の方に転送するように設定してて」

PCに届いたメールといっても簡単に無料で利用出来るフリーメールだ。プロバイダとの契約時に作ったメールアドレスは普段関わりのある必要最低限の人にしか教えていないし、流出しては困るので殆ど利用していない。
寄りかかっていた体を起こし姿勢を正すとは真正面に佳主馬を向いている状態で、佳主馬もと向き合うように自然と体が動く。

「しつこいっていうのは、色んな会社からのメール。スポンサーになりますから、っていう、ね」

PCの設定はあとで変えよう、と思いながらは携帯を佳主馬の前に差し出した。佳主馬は差し出された携帯を咄嗟に受け取りそうになるが、果たして見てもいいのだろうか、お伺いをたてるべくを見る。本人が画面を堂々と開いたまま差し出しているのだから問題はないのだろうが、一度確認せずにはいられない。了解が出るのを待機している佳主馬にが数回首を縦に振ると、ようやくから携帯を受け取る。
画面にうつし出されているのは一件のEメール、Fromには佳主馬にも聞き覚えのある会社名が表示されている。短めのスクロールバーが内容の長さを主張しているため丁寧に読んでいたら終わりが見えないし、読む気にもなれない。かちかちと早めのスピードでスクロールバーを下方へ降ろしていく、さっと目を通すだけで重要な単語だけは十分に読み取れ内容の把握もあっという間。

「nuとキング・カズマの試合がどうしても見たい人が多いみたい」

そう言うの表情は決して乗り気ではないようで、少し暗い。勝てる気がしないから一度も挑戦しなかったキング・カズマとの試合を望んでいる人たちが多く存在すると知れば、気落ちもする。思考が遠のいているのか虚ろな瞳が何を見つめているのか特定出来ず、佳主馬は手元の携帯に視線をおとした。会社だとか観客なんて関係ない、正直言ってnuとの対戦を一番に望んでいるのは佳主馬自身、ずっと興味があった、戦ってみたいと思っていた。

「それもすぐに実現するよ」

音を立てて携帯を閉じると、我に返ったが佳主馬の横顔を見つめた。

「僕はラブマシーンに負けてベルトを失った。けれどそのラブマシーンは、もういない」

OZ世界だけでなく現実世界までも混乱に陥れたラブマシーンはキング・カズマからベルトを奪った。不動のキング・カズマの敗北は大きな驚愕と落胆をスポンサー側に与え、佳主馬にはスポンサーが1社すら残らなかったし、ラブマシーンを消滅させた今でも戻ってきてはいない。だというのに今回の騒動で公の場で派手に行動してしまったばかりに、nuには以前に増してしつこいメールが引っ切り無しに届いてくる。勿論まだ一件も返信はしていない。

「実質、今頂点に立っているのはnuってことになる」

佳主馬はに向き直ると真っ直ぐとの瞳を見つめた。

「僕はnuに挑戦して、またキングになるよ」

揺るぎのない強い意思、強い瞳。ラブマシーンに負けても負けても、佳主馬は何度だって立ち上がった、立ち上がる強さがあった。スポンサーが去ってしまった今でもその強さは変わらない、そもそも佳主馬にとってはスポンサーが居ようと居まいと関係ないのだ。関係なかったのだ。

「だから、覚悟して待っててよね」

果たし状を手渡すようにの携帯を差し出す、一瞬だけ受け取ることに躊躇いを感じただったが、手を添えるとそっと佳主馬の手から確かに携帯を受け取る。キング・カズマに挑戦しなかった理由が本音じゃないと言ったら嘘をついてしまうことになるが、本当は少し違った。自信のないには不動のキングに挑戦する勇気がなかっただけ、結局は兄である翔太に歩み寄る勇気がなかったあの頃と同じ。試してもいないのにその後挫折したり玉砕したり、後悔したりするのが怖かっただけなのだ。

恐れずに、一歩踏み出してみたらどうだい?

栄の言葉は出来やしないと思い込んでいたにとってはとてつもなく苦難に思えたが、実行してみるとそれは案外想像以上に簡単なものだった。キング・カズマに勝てないと本当に思っている上で負けたのなら逆に清々しい、悔しいと思えるなら精進するチャンスだ。

「はい、待ってます」
「…ん」

佳主馬には負けるなぁと苦笑を浮かべたに、佳主馬は満足そうに応えた。














2010/12/10(2020/5/7一部修正)