ほぼ1年ぶりの再会。
お互いを異性として、パートナーとして意識するような関係になってほぼ1年も、相手が居る空間を体感しなかっただなんて、色恋沙汰にいつも気が散漫している友人に話しても絶対に信じて貰えないだろうなと思いながら、佳主馬はあまりにも無防備に睡眠を貪るを見下ろした。

(まつげ、ながい)

の顔を隠している少し伸びた前髪に触れると、微かな感覚を感知して、くすぐったそうに身をよじる。クッションもなしに寝てしまったせいで固まった首が痛むのか、眉間に深く皺が寄り苦しそうな呻き声がわずかにあがった。すかさずそっとさすってあげると、またすぅっと穏やかな表情で眠りにおちていく。安心できる存在であると態度で示され喜ぶべきなのか、害を成さないと思われていることを嘆くべきなのか。複雑に思いながらもこんなの姿を独り占めできるのだという実感が、佳主馬の心を満たす。

就職先が決まっているとはいえ大学四年生のには卒業研究が残っていた。年末と年始に実家へは一度帰省したもののまたすぐに東京へ戻ったらしく、冬休みに会いたいとに時間を強請るなんて佳主馬には出来なかった。次に訪れた春休みは、佳主馬にとっては短すぎる春季休暇、にとっては社会人として一歩を踏み出す準備期間。そうなれば自然と夏季休暇を楽しみとせざる終えず、それを目標に勉学にも励んだといっても大袈裟にならない。夏休みの学校では受験に向けての補習授業が実施されるが、勿論希望者のみの参加であるそれに加わらずにすんだのは、試験の結果が良いだけではなく通信簿の評価も母である聖美が満足にいくものだったから。おまけに志望する大学にも合格圏内であると判定され済みだったからである。

想いが通じ合ったあの日から1年間丸々、佳主馬とが会うのはバーチャルな世界でだけだったし、いつだってディスプレイ越しだった。「会いたい」と一言も言わないに疑問を抱きながらも、女性であるが言わないのだから自分が言えるはずがないだろうと、気持ちを押し込めまたディスプレイ越しに笑う。もしかしたら年下にかこつけて甘えたって良かったのかもしれないけれど、いくらシミュレーションしたって実行にはうつせそうになかった。なんせ少しも続きもしないシミュレーションの時点で、全くの落第点だ。そもそも、ディスプレイ越しに顔なんてみたら直接会いたくなる、と言っていたがディスプレイ越しの対面を許してくれたのだから、それは会いたいけれど時間が合わないのだから仕方ないという渋々の承諾であったのではないか。なんて、佳主馬の都合のいい解釈なのだけれども。

中学生の頃は十分な広さだと感じていた納戸はうっかり文句をつけてしまうくらいの狭さとなり、それでもここに入り浸るのはこの空間を佳主馬なりに気に入っているため。佳主馬の居るこの納戸にが留まる時間がめっきり増えたのは嬉しいことだが、いかんせん近すぎる距離に戸惑う。どこまで近づいていいのか未だにはかれずにいるのは、ブランクとも言える1年のせいか、それともの無防備さのせいなのか。

いるー?」

ノックもせずに納戸の扉を開いたのは直美。顔立ちが良い分控えめにすればいい化粧も、年齢を気にしてか厚めで、せっかくの美人は台無し。バツイチの彼女は一般的な女性よりもきつめの性格のおかげで未だに再婚相手が見つからない。はたまた再婚するつもりもないのか定かではないが、佳主馬にとっては興味がない部類の話だった。

差し込んだ太陽の明かりが、扉へ向いて伸びているの足元だけを照らす。目をぱちくりとさせている直美を一瞥しの首元をさすっていた手を静かに引っ込めると、定位置にあるノートパソコンに視線を戻す。
一つ一つがブロック型のキーボードとは違い、平べったいキーボードを打つ音は比べ物にならないほど静かではあるが、それでもを起こさないようにと、いつもより遅めのタイピングでプログラムを組んでいく。本当はここまで、と決めていたプログラミングを終えたらから勉強を教えて貰う予定だった。けれど仕事の疲れでも残っていたのか、気がつけば隣で寝息をたててしまっていた。今の直美のように、いつ誰にの時間を持っていかれるか分かったものじゃあない。それまでに出来るところまで、あわよくばそれ以上の成果を出しておきたいと、佳主馬は意気込みなおす。

に用があるんだけど」
「それって急用?」
「いいやぁ、大したことじゃあないけれどさ」

ないけれど、本人をみつけて用がすませられそうな状況下にあるのだから、できることなら叩き起こしたい。と、直美が思っているだろうくらい佳主馬にも理解できた。

「見ての通り、眠ってるから」

それでもを揺すり起こす真似はせず、あとにしてよと付け加える。怒り出すだろうかと少しは思っていた佳主馬だったが、一言も発しないどころか立ち去る足音すら聞こえてこないことに違和感を覚えた。違和感というよりは嫌な予感、振り返った先にある直美の表情でそれは見事に的中してしまう。

「…なに」
「別にぃ?」

ニヤニヤと厭らしいその表情にこれだからおばさんは、と思った事は決して内緒だ。バツイチ独身の直美に、そういった類の悪態はあまりにも禁句すぎる。克彦と由美の三男である恭平は今年5歳になるが、まだ純粋無垢な子供の一言でさえ額に血管を浮かせるほど。それに悪意が少しでもこもっていたらどんな反応になるのだろうかと、想像しただけでも恐ろしい。
まぁあとでいいわ、と扉を半分ほど閉めたところで、またニヤリと一際厭らしく笑う。

「佳主馬ってほんと、にはあっまいわよねぇ」

面白半分というのが顔にはりついて分かる直美に立ち去り際そう言われ、佳主馬は顔を顰めた。別にが我侭で佳主馬がそれに振り回されてごちながらも甘やかしている、というわけではない。断言した言い方になってしまうのは、が我侭という我侭を言わないからである。むしろ我侭らしい我侭を抱いているのは自分の方だと、佳主馬は自覚すらしている。

例えばそれは、とても暑い日にが水分も摂らず読書に熱中していたら、氷をたっぷり入れた麦茶を出してあげたり。蒸し暑い夏とはいえ、ソファでうたた寝をしてしまったにタオルケットをかけてあげたり。その髪に触れてみたいがために、の手から拝借したドライヤーで髪を乾かしてあげたり。強制買出しに付き合わされ、が持つには不釣合いな重い荷物を、さり気無く奪い持ってあげたり。
それが以外の子だったら、どうなんだ?直美が言っているのはそういうこと。

(荷物くらいは持つだろうけど、持たなきゃならないようなシチュエーションになったことがない。…多分)

断言できる自信がなくて多分と付け足してしまう辺り、それだけ自分は以外に興味がないんだと、恥ずかしいくらいに思い知らされる。しかし4年間抱き続けた想いを他の誰かに僅かにでも向けることもせず、ただただだけを見てきたのだから、佳主馬にとっては当然とも言えた。他の子にも平等に優しくに対する気配りと同じことが出来てしまうのなら、特別という言葉は必要性を成さない。それこそに対するこの気持ちが、無価値と化してしまう。
それでもは佳主馬は誰にだって優しいと思っている、誰にだって救いの手を伸ばすのだと思っている。まるで、特別という言葉を知らないみたいだ。









どうしてか僕は
絶対的に彼女に甘い
……らしい









僕すら無自覚、ってことにしておこう。だってさんには伝わらないのに、他の人には筒抜けなんて、悔しい。