縁側に腰を降ろしているを見つけ、隣に座る許可を貰った佳主馬は少しだけ距離を置いて同じように腰を降ろした。風に乗り鼻を掠める微かな甘い香りにそちらを向くと、うなじを覗かせているの黒髪が揺らいでいた。抱き締めた時と同じ香り。佳主馬は、女の子が皆甘い香りがすると思った?なんて言った真紀に、香水を吹き付けられたことを思い出す。香水のように強い自己主張のないこの香りはきっとシャンプーか何かなのだろうけども、真紀が言っていたことは嘘じゃないかと内心で毒づく。

「まさか、姉ちゃんがnuだったなんてね」

今の心境を誤魔化すように話を振る、そうでもしなければ自我を保っていられそうにもなかった。何故か戸惑ってしまうという経験は今までに一度もなく、さらには上手く表現の出来ないこの気持ち、佳主馬にとっては手探りだらけでいっぱいいっぱいだったりする。話し相手が夏希や真紀でも普通だった、いや、以前までのに対してだって至って普通の対応をしていた。なのに今までどうやって接していたのか、すっかり忘れてしまった。

「隠してたわけじゃないんだけれど」
「なんで僕に挑戦して来なかったの?」

少なからず佳主馬はnuに興味を持っていた。力を有り余していたからこそ言えることだが、自分よりも強い相手に挑戦することはさらに力を身につけるためにも繋がる。自分がnuだったらキング・カズマに挑戦するのにと、実は佳主馬は思っていた。けれど反面、nuはキングの座に興味がないのだと推測もしていた。だからnuのプレイヤーがだと分かった時は、驚きの衝撃もあったが、あぁだからかと納得の気持ちもあった。単にゲームが好きなは頂点に興味はないしそこまで欲深くもない。

「佳主馬には勝てないって、分かってたから」

今回のごたごたの中で分かったことだが、結構はっきりと物事を伝える性格のわりには、本当に大切な所で大切な言葉を言わなかったり臆したり。自分の中に押し込めてその内忘れたつもりにしようとしたり。空気が読めないよりは当然空気が読める方がいい、だが空気が読めすぎるのも考え物だ。深読みしすぎて案外、我慢ばかりしている。

「見てたら分かる」

それだけ評価されていることを喜ぶべきなのか、それとも対戦してもいないのに分からないじゃないかと叱咤するべきなのか。狭間で佳主馬の心が揺れ動く。
本来ならOMCをプレイするときのはPCからログインし、PCのキーボードを使用する。佳主馬のタイピングの腕前はよりも上。的確にコマンドを入力する佳主馬の手際を目の当たりにされたら、必然的に敵わないと判断してしまい挑む気力なんて起こさせなかった。ただでさえ、自信なんて持ち合わせていないにとって、キング・カズマは手の届かない高嶺の花的な存在だったのだ。

「やっぱかっこいいなぁ、キング・カズマ」

どこか遠くを見つめながらは溜息混じりにそう言った。被害妄想だということは分かっていながらも、年下は眼中にありません、と言われているように感じてしまい、佳主馬は思わずむっとした。

「なにそれ。かっこいいのはキングだけ?」

子供のような発言だったと思った、言った後に後悔した。に対して言った後の後悔はこれで二度目だと冷静にカウントしつつも、ここで訂正すれば逆にからかわれるような気もして声が出てこなかった。傍に誰も居ないことがせめてもの救いで、佳主馬は恐る恐るだということが気付かれないようにの様子を伺った。瞳を丸くし数回瞬きを繰り返す姿は、きょとんという効果音が相応しい。ちょっとだけ拗ねたような発言を、まさか佳主馬がすると思っていなかったは見事に不意をつかれた。
失礼だと分かっていながら、気がついたときには口元が緩み声を上げて笑うがいた。控えめではあるがにとっては爆笑の部類に含まれるのだろう。くすくすと笑っているが居ることが信じられなくて、佳主馬は瞳に焼き付けようとするくらい凝視する。初めて見る、笑顔。
見られていることで佳主馬の機嫌を損ねたと解釈してしまい、口元を押さえた。

「ごめん」

微かな笑みを残したと目が合い、佳主馬はつい視線を泳がせる。
今年の夏は特別親しくもしていなかった佳主馬の知らない一面を沢山知った。分かっていたことではあるが、分かっていた以上にしっかりしていて、頼りがいがあって、逞しくて、男らしくて。中学1年生なのにとか実際の年齢なんて気にならないくらい、大人だ。単純に単語一つに絞るとしたら一本気、だろうか。栄も確実に持っていたそれを、佳主馬はしっかりと受け継いでいた。

「佳主馬も、かっこよかったよ」

キング・カズマだけでなくという台詞が仮にお世辞だとしても、どうしても今がどのような表情をしているのか知りたくてもう一度を見た。先に視線を逸らしたのは佳主馬だというのに。
視線が合った途端に、がふわりと柔らかな笑みを浮かべる。胸の高鳴りと見詰め合っている状況に気恥ずかしさを感じながらも、目を離すことができなくて身動きすらとれない。これなら相手を石にしてしまうメデューサの方が優しいと思わせる。だって、石になってしまえば相手がどれほど美しかろうと意識がないのだから関係ないじゃないか。

「佳主馬はかっこいいよ」

キング・カズマや誰かと比べたわけではなく、佳主馬のことだけを見たの意見。年下は無条件に可愛い部類だという人もいるが、は自分よりも年下だとか背が低いだとか関係なく、そのままの佳主馬をかっこいいと言う。

「ありがとう」

突然の感謝の言葉に何に対してのものなのか思い当たる節が見当たらず、佳主馬は眉を顰めた。

「…僕、姉ちゃんにお礼言われるようなこと、した覚えないけど」
「ううん。したよ」

本人が覚えがないと言っているというのに、はしたと断言する。そのの頬は微かに紅潮していた。泣く場所を貸してくれた佳主馬を思い出すたびに、頬を赤くせずにはいられない。

「傍に居てくれた」

大切な言葉は自分の口で伝えないと意味がない、確かに聖美の言う通りだった。本人以外の人の口から伝えられたところでがどれだけ佳主馬に感謝しているのか、きっと佳主馬には伝わらなかった。今だって正直伝わっているのかは分からなかったが、ずっとタイミングを失っていただけあって、自分の口で伝えられたということだけで満足していた。想いが届いていたら、尚良いのだけれども。

「だから、ありがとう」
「…どういたしまして」

ほんのりと赤い佳主馬の耳にの頬がさらに緩む、何故か幸福だと感じてしまうのだ。

「あのさ、連絡先聞いてもいい?」

腰をあげた佳主馬はの前に立ち、携帯を取り出す。

「携帯? PC?」
「どっちでも」
「じゃあ、両方」

つられても立ち上がり、浴衣の胸元から携帯を取り出した。赤外線でお互いの連絡先を送受信しアドレス帳にきちんと登録されたことを確認する。
立ち上がったは当然佳主馬よりも背が高く、健二ほどではないが、やはり少し見上げなければならない。健二を尊敬しつつもを上から見下ろせる立場にあることに羨ましいという嫉妬心が芽生える、歳の差があるからこその子供っぽい感情に嫌気がさす。けれど自意識過剰でなければは自分を一人の男として、そこまで達していなかったとしても、少なからず陣内家の男としては認めてくれているはずだと佳主馬は確信していた。でなければ、が佳主馬の胸元で涙を流すわけがない。

「浴衣、やっぱり似合ってたね」

落ち着いた雰囲気の浴衣はその印象を持つにとてもよく似合っていた。浴衣の柄を同じ朱色の牡丹は、黒髪に栄える。ありがとうと言うわりには全然嬉しそうに見えなかったの表情をふと思い出す、何やら思うところがあったようにも見えたが佳主馬は何も聞かなかった。聞いたところでは何も教えてはくれなかっただろうが、今となっては気になって仕方ない。しかしいまさら根掘り葉掘り蒸し返すように質問攻めにするのは邪道な気もしてならない。
夏希に無理に着せられていたようでもあったし、以前と同じ表情で社交辞令程度の謝礼を述べるのだろうか。アドレス帳にの名前が間違いなくあることを確認し閉じると、を見上げた。佳主馬が顔を上げるのを待っていたらしく、視線が合うと口元が弧を描く。

「ありがとう」

嬉しそうに、愛しそうにも見える眼差しに佳主馬は言葉を失った。の笑顔に問題もあるのだが、気持ちが少し変わっただけで世界が逆転してしまうのだから、参った。









もどかしい二人









大きな声で夏希に呼ばれ、が佳主馬の傍を離れる。履きなれない下駄に苦戦することもなく、一定の歩幅で歩みを進める背中を佳主馬はじっと見つめた。夏希や真紀よりもずっと大人だと思わせるとの実際年齢の差はどう足掻いたって埋められない。だが同年齢で差が生じるということは、実際年齢ではなく精神年齢が左右している証拠だ。精神的な面なら十分と佳主馬は対等と言えよう。
佳主馬の成長期はこれから、けれど自分の身長がいつの身長を越すかなんて確かなものは、己の成長であっても把握できない。まだ高くて女の子のような声だって、いつ声変わりして低くなるのか。

(長期戦、か)

見た目こそに見合う男になるには、時間が必要だ。異性として意識してもらうにも、この容姿じゃもの足りない。

(上等)

口端を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべる。宣戦布告だ。
相変わらず騒ぎ立てている翔太の声を耳に、あれが義兄になるのは勘弁だけれども、と思いながら手招きをするに応えた。

近づいた二人の距離がなくなるまで、あと、少し。















2010/10/30(2020/5/6一部修正)