夏希の勝利でラブマシーンのアカウント数は残り2となり、エリアの雰囲気は一変し暗雲がたちこめる。巨体は大きく歪み雷が迸るとラブマシーンが内部から光を放ち、後光を背負った。何重にも輪を作り上げたルーレットには奪ったアバターたちの姿が刻まれている、その中には勿論キング・カズマの姿も。ルーレットは硝子が割れる効果音と共に砕け散るとラブマシーンの苦しそうな呻き声が増し、各所の原発を映し出していたウィンドウが格納されていく。
最後の足掻きをみせナツキを握りつぶそうと手を伸ばす、しかし辛うじて保ってはいるがすでに形状は崩れている状態。すくった砂が手元から零れ落ちていくように、アバターたちがさーっと力なく落ちていく。ラブマシーン自身の内部から大きな爆発が発生し、眩しいフラッシュがエリア全体を照らす。

「と、とまった…?」

間違いなくワールドクロックは13:59:17でカウントを停止させていた。

「やったああああああっ!!」

一同は満面の笑みで勝利を称え喜びを大手を上げて表現する。聖美は変わらず無表情の佳主馬に後ろから抱きつき左右に揺れていたが、佳主馬の隣で同じく無表情でいるを捉えると、前置きもなしに抱きついた。 聖美の左腕には佳主馬、右腕にはが納まり2人の距離が近くなる。
喜びのあまり大胆にも健二に飛んで抱きついた夏希、いつもなら煩く翔太が騒ぎ立てるところだが太助と抱き合い気付いていない。おじやおばたちの妙なはしゃぎようは、まるで子供のようで見てはならない一面を見てしまったよう。は少しだけ居た堪れなくなったが、弔いを否定していた直美や万里子が今こうして一緒に喜びを分かち合っていることが、幸福だった。

「待って! なんかおかしいっ!」

太助の声にディスプレイを凝視すると、止まったはずのワールドクロックが再びカウントダウンを開始していた。13分をとっくにきってしまってい、もうすぐ12分を過ぎようとしている。

「カウントダウンが、止まらない…!」
「え、えぇっ?!」
『そんな…世界中のワールドクロックは止まっているのにっ』
「ここだけ?!」

夏希に押し倒されていた健二が頭を持ち上げる。ワールドクロックからグレーの線で繋がっている丸いウィンドウには緯度と経度が表示され、上空から見た風景がぼやけて映っている。急激なスピードでズームインされていくと、次第にはっきりと鮮明になっていき、見覚えのある車と見覚えのある犬が見えた。毛並の整った柴犬は赤い首輪をつけ、上空を見上げながらずっと吼え続けている。一同はゆっくりと庭先で吼えているハヤテに首を向け、我が目を疑うようにもう一度ディスプレイに向き直った。

「ええぇ?!」

ウィンドウの後ろから、体はケンジのままだが顔付きはすっかり邪悪になってしまったラブマシーンが、鍵を抱えてひょっこり顔を出す。陣内家が映っているウィンドウとは反対側にあるウィンドウには、未だ落下中のあらわしが中継されている。

「ここにあらわしを落とす気?!」
「それ以外の何がある…!」
「ふざけんな馬鹿野郎!!」

翔太は相変わらず警察官らしからぬ発言でラブマシーンに文句を言う。太助も拳を握り締め、けれど怒りをどこにぶつければいいか分からず堪えている。

「まだ解体終わんないの?!」
「やってる!!」

侘助も苛立ちで焦りを見せる。

『10分をきった…!』
「もう任意のコース変更は無理だ」
「冷静に、まずは退避。近所の人たちにも大至急知らせて。どんな被害が出るか分からん」

理一に続き頼彦が的確な判断で指示を出す。

「行くぞっ」

合図と同時にバタバタと各自が左右へ動き出すが、この状況で冷静にというのが無理な話だったようだ。同じ場所で足踏みをしながら忙しなく会話を進める。

「おうちふっとんじゃうのー?」
「吹っ飛ぶくらいで済めばいいけどっ」
「おばあちゃん、どうしようこれっ」
「担いでいけばいいでしょう!」
「えっ、えぇぇ?」
「母さん通帳!」

各々が必要だと思われる物を集め庭先に飛び出すと、荷物を車に詰め込みその作業を繰り返す。
慌しく行き交う中、夏希はディスプレイの前に立ったまま動こうとしなかった。夏希はラブマシーンに勝って大勢のアバターを解放した、けれどまだ1体だけ取り返せていない。健二のアバターだ、今使っているぶさかわのリスは仮ケンジであって本来使用していたアバターではない。キング・カズマを奪われたという理由だけではないが、悔しそうに泣いていた佳主馬の姿が夏希の頭から離れようとしない。健二だって、普通でいられるわけがないじゃないか、一番の被害者だって健二だ。
ラブマシーンはケンジの体を乗っ取ったまま、まだ抵抗を続けている。大きな鍵を大切そうに両腕に抱えてシシシシシと笑みを絶やさない。
悔しさに唇を噛み締める夏希を押し退けて、ディスプレイの前に座ったのは健二。背負っていたリュックを置くとキーボードに手を伸ばし、佐久間に声をかける。

「管理等にやつのログは残ってる?」

右下にウィンドウが開き一瞬だが驚いた佐久間が映り出された。

『っ、おう任せとけ』
「まだ何かやるつもり? 任意の変更は出来ないって…」

スポンサーからの賞品であるノートパソコンだけを抱えている佳主馬が足を止めた。

「理一さん! あらわしはGPS誘導だって言ってましたよね?」
「あ、あぁ…」

戸惑いをみせながらも理一が肯定の意を示す。

「昨日のやつみたいにGPSの原子時計に偽の補正情報を送れば」
『これだ、足跡くっきり!』

緑色の足跡が原子時計の周辺にはっきりと残っていた。

「っ、位置情報に誤差が生じて…」
「少しでもコースが変わるかも…」
「でも上手くいく確証はないので、先に退避を」

健二たちの様子に気付いた太助たちが足を止め始めるが、万里子たちは変わらず荷物を持ったままバタバタと走り回っている。

「…健二くん…」

も縁側で立ち止まりそこから動こうとしなかった、動いてはいけない気がした。一番に迷惑を被ったのは誰もない健二だというのに、最後の最後まで諦めようとせず今ももがき続けている。
初日、初めて健二と会ったつい先日のことをは思い出していた。控えめで大人しそうだというイメージが何よりも優先した健二だったのに、目前にいる健二は別人のよう。瞳には強い意志を宿し前向きな姿勢を一向に崩そうとしない、やはり栄の目に狂いはなかったのだ。きっと一生あの人には敵わないのだろうと思いながら、は夏希の隣に立った。

「…
「可能性は低くても、なくはないよね」

わずかな可能性にかける、健二を信じてはこの場から逃げることを選択肢から除外することにした。健二を一人だけ置いて立ち去るだなんて、そんなことをしてしまったら栄に顔向けができやしない。
万里子が庭先から呼びかけるが、健二は見向きもしない。

「早く! あんたたちも!」

健二は夏希が名前を呼んでも、振り返るどころか返事すらしない。万里子に催促され夏希は躊躇いをみせたが、答えはとっくに決まっていた。健二のアバターを、まだ取り戻せていない。

「早く!」
「っ、まだ負けてない!!」

言い放った声は親戚全員に届き、動きを制止させた。夏希との表情は異なるものだが、も同じく断固として動く気はないという意志が見て取れた。この場から動かしたいのなら気絶させるか抱きかかえて連れて行くしかない。
補正情報を入力する欄を発見するが、邪魔するように2056桁の暗号が表示される。

「な、なんで…?」
『パスワードが変更された、やつが邪魔してるんだ』
「そ、そんな…」

ラブマシーンが抱えて持っていた銀色の鍵、あれこそが管理センターのパスワードをOZ内で具現化させたもの。何度だってパスワードを変更することが出来る、つまり何度暗号を解いたって無意味ということだ。健二の瞳が揺らぎ、躊躇を見せる。そんな健二の背中を大股で近づいてきた翔太が渇を入れるようにバシッと叩き、応援のエールを送った。さらには万作も戻ってきて、健二の隣に膝をついた。

「しゃんとしろ! 俺たちがついてる!」
「君にしか解けないんだろう、これはっ」

ずっとノートパソコンのキーボードを叩きつけている侘助が、必死の思いで健二に想いを託す。

「頼む!!」

健二は迷いを拭い、レポートの冊子を捲り右手に握ったシャーペンを走らせる。

「はいっ!」

ウィンドウに映っているあらわしは、ついに大気圏に突入し外殻が炎に包まれながらも、速度を緩めはしない。露になった再突入体はディスプレイで見れば小さいが、実際の大きさと速度を想像しただけで武者震いでもしてしまいそう。
非難しようと思っていたはずの万里子も、万助を始めに親戚たちが再び広間に集結した。白いレポート用紙を数字で埋め尽くしては破り、また只管書いては破りの繰り返し作業を行う健二を囲み、静かに見守ってくれている。それだけでも健二にとっては十分力になる、十分心強いというのに。

「頑張れ!!」
「っ、はい!」

力を送り込むように、夏希に両手で背中を叩かれ俄然負けるわけにはいかないと、健二の想いをより強くさせる。暗号解読を終えると手中からシャーペンを投げ捨てるように手放し、キーボードに手を伸ばし、パスワードを入力する。

『開いた!』

2056桁の暗号が表示されていたウィンドウを通過した。暗号を解くだけでも凄いというのに、ものの数分で2056桁もの数字で構成された暗号を解いてしまうとは。も佳主馬も、陣内家の人間は健二には驚かされてばかりいる。

「早い…」

明らかに先日よりも暗号を解くスピードが上がっていた、それは恐らく健二の集中力にあるのだと考えられる。解く方法を身につけたというのも一つの理由にあるのだろうが、例えば読書だってきちんと本に集中して読んでいなければ内容を把握することはできない。集中できていないのなら、それは単純に視線で文章をなぞっているだけ。

『締め出された!』
「くそっ…!」

拳を畳に叩きつけるが、健二はもう一度シャーペンを握りなおした。

「もう一度解きます!」

聖美が言っていた、佳主馬は健二のことを気に入っていると言っていた台詞は、間違いではなかった。佳主馬の憧れる様な尊敬するような眼差しに、分からないでもないよとは胸中で思う。夏希になりたいわけではないが、夏希が羨ましく思う、それはきっと今の佳主馬が健二に抱いている気持ちと同じものだから。実際年齢だとか精神年齢だとか関係なく、この人と肩を並べて歩きたいと思うようになるのだ。

「佳主馬!」
「っ?!」

侘助が怒鳴るように声を上げた。

「やつの守備力をゼロにした、やつを叩け!」

金髪はボサボサで体中包帯まみれのキング・カズマをマンサクが介抱していたようで、体力はわずかだが回復していた。偽ケンジの守備力をゼロにしたといえど、はキング・カズマの姿を見ていられず回復アイテムを選択すると、キング・カズマの前に降り立った。OMCで回復アイテム類の使用は禁止されている上に、入手が容易い代物でもない。いつの間にかアイテム欄に存在があって、自身どうやって入手したかも覚えていないし使用するタイミングも見つからず、放置していたものだ。そっとキング・カズマの胸元に寄せると、体の一部になるように溶け出し包帯の数を減少させた。

姉ちゃん…」

は佳主馬と見つめあい、小さく頷く。佳主馬が口元を引き締め、同じく小さく頷き返した。

「行って来いっ!」

マンスケがキング・カズマの腕を引き、キング・カズマが飛び立つ。空間には大勢のアバターが集まっており、通りやすいように双方に分かれることで、徐々に道が出来上がっていく。最後の戦いに挑みに行くと言ってもいいだろう、傷だらけの姿になっても再び立ち上がったキング・カズマに数え切れないほどのアバターが、祝福の言葉を送り見守っている。必ず居た罵倒の言葉や悪態をつくアバターは、どこにもいない。

『あと2分!』

佐久間のカウントに健二は下唇を噛み、シャーペンを握る手に力が入る。解読を終えパスワードを入力する。

「開いた!!」

けれどまたもパスワードが書き換えられてしまった。新たな2056桁の暗号がウィンドウに表示され、健二含め一同の表情が絶望に満ちる。

「まただ…!」

夏希が涙を目じりに浮かべ、口元を両手で覆う。
息が詰まりそうな思いをしながらも、健二はシャーペンを手にとった。けれど残り時間は2分をきってしまっている、書いて計算していたのでは間に合わない。汗の塊が健二の頬を流れ顎からレポート用紙に落ち染みを作り出す。瞳孔が開ききった瞳を揺らし、表示されている数字を凝視し瞬きすらしていない、開ききった口が集中している証拠だ。一度はもったシャーペンを零れ落ちるように手放し、震える両手をキーボードの上に掲げ、ゆっくりと一つずつキーを押していく。

「あ、暗算…?!」

太助が唾を飲み込んだ。

『あと1分!!』

ぽたりと、次にレポート用紙に落ちた雫は赤色。集中しすぎたためか、健二の鼻から血が流れ出していた。
パスワードを入力し確定のenterを力なく押す、無事に暗号を解読し通過出来たが問題は偽ケンジの行動だ。大きな鍵を抱え、凝りもせずにパスワードを変更しようと鍵穴へ近付けた。

「邪魔するなあああああぁっ!!!」

キング・カズマの声に振り返った偽ケンジの顔面に拳がめり込む。鍵は手元から投げ出され、偽ケンジの体はブロックのように砕け散った。
健二は偽の座標を打ち込み、絶叫しながらenterキーを強く打った。

「よろしくお願いしまああああぁすっ!!!」









終戦









遺影の周囲は栄の好きだった朝顔の鉢で埋め尽くした。紺地に朝顔柄の浴衣に身を包み、朝顔のコサージュを頭に飾りつけている夏希はウクレレを奏で、太助は小さな和太鼓を叩いている。も黒地に縦縞模様で、牡丹柄の浴衣に身を包み夏希と同じようにショートカットの黒髪には、牡丹のコサージュを飾り付けていた。皆格好は普段着で、佳主馬だけが唯一制服姿、少し恥ずかしそうに俯いているのも佳主馬だけ。お葬式だと集まった人々は、誕生日の歌を盛大に歌う家族の後方で、呆気にとられてしまっていた。この姿がうちらしいなと思いながら、も皆と一緒に口ずさむ。

「ハッピーバースディートゥーユー」

多少どころではないが、陣内家にだけ嵐がきたようにぼろぼろになってしまった敷地内は、たちにとっては愛嬌だ。むしろ、勲章と言ってもいい。修理費が馬鹿にならないなんて、今は現実的な話はなし。
今日は8月1日、年に一度の栄の誕生日なのだから。