もうすぐ着く、とあまりにも簡潔で分かりやすい短文のメールを開いたまま机に置いていた携帯が、省エネモードに入り何度も画面を暗くする。佳主馬はPCのディスプレイに集中しているとみせかけて、そのたびに実は何度も携帯の小さなボタンを中指で押し、画面を明るくしては同じ短文を繰り返し声に出さず読みあげる。本人がもうすぐ着くと言っているのだから返信を送るなんて無粋、ここは大人しく待つに限る。けれどに会うのは二年ぶりということもあってやはり佳主馬の心は落ち着かない、落ち着けという方が無理。

高校を卒業したは東京の大学へ進学し、一人暮らしをはじめた。栄の一回忌を欠席することはにとっては許し難いことだったらしく、まだ慣れない大学生活でありながらも慌しく帰省してきた。大学生の夏期休暇というのが中学生や高校生よりも始まりが遅い8月上旬からで、は考査を終え教科全ての結果が出終える前に帰省するというリスクを犯したのだ。運良く一教科も単位を落とさずには済み、佳主馬が名古屋へ帰った後も中学生や高校生よりも終わりの遅い夏期休暇を9月中旬までのんびり実家で過ごしたらしい。たまにメールのやり取りをしたりお互いの都合が合う時はスカイプをしたりと、すっかり親しくなった佳主馬と。その年は昨年よりも一緒に居る時間が多く、聖美を筆頭におばやおじたちの冷やかしという被害にあったが、は相変わらずクールな反応で佳主馬を少し落胆させた。だが何よりも佳主馬を落胆させたのは一年では大して伸びなかった自分の身長と、縮まなかったとの身長差だった。長期戦上等、と意気込んだもののやはり実際に現実を突きつけられると痛手は大きい。

多少ではあるがが笑みをみせるようになって夏休み明けからの高校生活は人気が一気に高まったと、同じ高校に通う了平から聞いた由美が聖美に情報を流し、佳主馬の耳にまで届いた。元々容姿は兄である翔太だって豪語するくらいのものを持っているわけなのだし、納得。さらに詳しい話を聞くと、表情が無機質過ぎるために近寄りがたかっただけらしく、の隠れファンは夏希を想っていた健二のように、ひっそり居たというのが真実。佳主馬だって焦りを覚える。
いっても、焦ったところで急に身長が伸びるわけでもの意識が向くわけでもなく。

そんなこんなで特に進展があるわけでもなくその年の夏は過ぎ去りそれから二年。中学3年生の佳主馬が受験だったり、翌年は会えるかと思いきや大学3年生のが早めの就職活動に追われたりとで会えずじまい。Webカメラを利用するのは苦手だからというに配慮して連絡はいつも声か文章のみだった。の存在を視界に入れることができるのだと考えるだけで、佳主馬にとっては一分一秒が待ち遠しい。
携帯がメールの着信を知らせるメロディを奏でランプが小さく点滅する、画面にはの名前。着いたよ、なんてわざわざ知らせるメールを送ってくるとは思っていなかった佳主馬の口元が、つい緩む。立ち上がると納戸を抜け出し玄関を目指した。









スカーレット









「久しぶり」

を視界に入れた途端に胸が激しく高鳴り活発に血液を運び始める、このまま死ぬまでに動く心臓の回数を迎えてしまうのではないだろうかと思うくらいの動悸。髪型一つですっかり印象は変わってしまうもので、会えただけでも嬉しさを噛み締めているというのに、より心臓に負担がかかる。クラスの女子が髪を切ったって化粧をしたって何かを思ったことなど一度だってなかったのに、相手がだというだけで何もかもが特別に思えてしまう。これが、惚れた弱みというやつなのだろうか。
四年前のあの日に佳主馬を出迎えたのはだった。が意図としたことではないことくらい佳主馬にだって分かってはいたし、単なる偶然だということも知っている。だが今の状況がその時と逆の立場で、尚且つあの時のように誰も玄関先にいないことから何か運命的なものを感じてしまう。

大き目の荷物を降ろし頭を垂れていたの首が持ち上げられ、佳主馬を見る。相変わらずの白い肌、セミロングに伸びた黒髪が赤みの帯びている頬を滑り肩に落ちる。そういえば陣内家に居るはいつだってジャージ姿か基本ラフな姿で、まともな私服なんて見たことがない。こういう服装で来るだろう、なんて予想をしていたわけではないが夏らしいマキシ丈ワンピースという想像を越えた姿に、佳主馬の視線が釘付けとなる。服装一つですっかり印象は変わってしまうもので、会えただけでも嬉しさを噛み締めているというのに、より心臓に負担がかかる。あぁ心臓がもたない。

「佳主馬…?」

疑問符を語尾につけ、若干の上目遣いでまじまじと佳主馬を見上げる。自分よりも頭一つ分小さくて、容姿は母親の面影のせいで可愛らしい男の子だった佳主馬が今では頭一つ、いや正確に言えば一つ半くらいは大きい。声変わりがきてすっかり声が低くなったことはスカイプで知っていたはずなのに、やはり直接耳に飛び込んできた声と機械を一度通って届いた声では全く違う。一瞬誰か分からなかった、でも、佳主馬だとすぐに分かった。

「やだな」

参ったと言いたげには眉をハの字にして苦笑を見せた。何に困ることがあるというのか、今度は佳主馬が首を傾げる。

「内面だけじゃなくて、見た目までかっこよくなっちゃったの?」

なんなの本当勘弁してよ、喉まできて出る寸前だった言葉を呑み込み佳主馬は頭を抱えた。あの夏の日、佳主馬はかっこいいよと断言したを思い出したのだ。は自分に正直でお世辞を言うような性格ではない、よく注意して観察しているとはっきり顔に出るから分かりやすい。だから嘘やお世辞ではなく本心からのの台詞に、佳主馬の心は早くもSOSを訴えている。クラスの女子にかっこいいと言われたところで顔色一つ変えずに流すことは何よりも容易かったというのに、の声で発するだけで大したことのない言葉が特別になる。
眉間に皺を寄せ難しい顔をしている佳主馬を、が下から覗き込もうとする。

「佳主馬? 気分でも悪い?」

表情がずっと豊かになった。自分が知らない男にも同じように微笑むのだろうかと想像したら、それは嫌だと即答する自分がいる。きっとこれはまだ余裕のない子供である証なのだろうと思うと、顔をしかめずにはいられない。

「大丈夫?」
「…ん、平気。荷物持つよ」
「ありがとう」

が持つと随分大きく見えた鞄も、佳主馬が持つとそうでもない。サンダルを脱ぐを待っているとなぜか照れくさそうにがはにかむ、つられて佳主馬もはにかむ。はたから見ると初々しい恋人同士以外のなにものでもないやり取りと雰囲気を纏わせているというのに、お互いは全く意識していないよう。二人にとっては、それが自然体なのかもしれない。
一歩先を歩く佳主馬の後姿をは暫くじっと見つめていた。足元に視線を向ける。当然佳主馬は裸足で、高さのあるスリッパを履いているわけでもなくと同じ高さの床に立っている。佳主馬は男の人だったんだ、佳主馬の頭部を見つめ当たり前のことを思った。