仏壇に買ってきた箱菓子を供え合掌するを、佳主馬は少し斜め後ろから眺めていた。瞼をふせ声には出さずに胸中で近況報告やその他諸々を栄に話しているのだろう、呼吸に合わせて僅かに上下する胸元以外には一切動きは無い。誰がやっても同じなのかもしれないが、だと何故か無駄な動きなど何一つないように見えてしまうのだ。いつもならバタバタと走り回る子供たちが留守のせいか違和感を感じて仕方がない。けれどには騒がしさが似合わないせいか、その違和感さえもを視界に入れていると佳主馬の中から揉み消されていく。
ゆっくりと瞼を開き合掌していた両手を膝の上におろすとじっと栄の遺影を見つめるにつられて、佳主馬も栄の遺影に視線を移した。あの夏から今年でもう、4年が経つ。月日の流れというのはあっという間で、きっとあっという間に社会人になって人の親になって、気がついた頃には老後なんだろうなと佳主馬に思わせた。今はまだ学生だからたった50分の授業でさえも長く感じ学校が終わるのも遅く思う、それはもしかしたら時間が有り余ってるからなのかもしれない。社会人になったらそれこそ本当に流されるように時間に追われ仕事に出かけるのだろう。自分の望んだ仕事ならまだしも、望んでなどいない仕事ならさぞ億劫だろう。流される時間の中にいるとき僕の隣にいるのは誰だろ、望んだところで伝え繋げられなければ意味はない。
願望と現実は比例しないのだ。
「聖美さんたちは?」
いつの間にかは振り向いていて、しっかりと瞳に佳主馬を映し出していた。異常なまでに静かな空間に違和感を抱いたのは佳主馬だけではなかったようだ。
「買出し」
毎年のことながら魚介類は万助が調達してくる手はずになっている、なので総出で野菜類の調達に出かけたのだ。最もそれを言い訳にして出かけたと十分に考えられる、この田舎で見て回る店なんて極少数、限られている。大体陣内家には畑がある、わざわざ買出しに出かけなければならないほど野菜が採れないわけがない、むしろその逆と言ってもいい。
立ち上がりながら佳主馬は、そういえば下の子供たちが遊びに行きたいと駄々を捏ねていたのを思い出した。仕方なしに連れて出たのだろうけれども、何も無い田舎に落胆した表情で帰って来るだろうことぐらい容易に想像できる。現実を思い知り、次から駄々を捏ねることはなくなるだろう。
「夏希姉と健二さんが居たはずなんだけど」
「仲良く散歩とか、かな」
縁側を歩き出した佳主馬の隣にが並び、佳主馬を見上げる。夏希や健二の身長を超してもいまいち身長が高くなったという実感が沸かなかったのは、一番重要な存在であると並んだことがなかったから。数字上だけでなく実際に並びあうことでようやく、自分の身長が本当にを超したのだという実感が沸きあがり胸中でガッツポーズ。反面、あの頃でさえ可愛いと思っていたが上から見下ろすことになっただけで、更にそう思う気持ちが倍増していることに戸惑っていたりする。
「かもね」
そうなると今はと二人きりという状況になるのだろうか。特別なにかあるわけではないが、そう考えると急に激しい緊張が佳主馬を追い詰める。
「佳主馬、飲み物いる?」
キッチンに向かおうとするの腕を咄嗟に掴んでしまい、思わず声をあげそうになった。
「姉、僕が持ってくるよ」
「いいの?」
「うん、何がいい?」
「あるやつでいい」
「分かった。リビングで待ってて」
通り過ぎたリビングに戻るを見守り、佳主馬はキッチンへ向かった。棚から取った二人分のグラスを片手に持ち小さめの氷を大量にすくうとグラスの半分を埋める。冷蔵庫から麦茶が抽出されたボトルを取り出すと、豪快にグラスへと注ぐ。いつもならもう少し時間をかけて行う作業のはずが、何故かせっかちになり先へ先へと走ってしまう。
の細さは見ただけでなく実際4年前に抱き締めたこともあって分かっていた。分かっていたつもりだったが全然違っていた、大袈裟かもしれないが少し力を入れたら壊れてしまいそうな細さ。そう感じたのは紛れもなく生じた体格差のせいだ。
「…なんでこんなに、動揺してんだろ…」
些細なことを切欠にへ対する想いが溢れ出し止らない、これでは心臓がいくつあっても足りやしない。一度深く深呼吸をすると意を決したようにグラスを両手に持ちリビングを目指した。ずるずる考えているといつまで経ってもキッチンから出ることは叶わないし、何よりを待たせるのは嫌だ。
ソファに腰を降ろし中庭を眺めているはやっぱり相変わらずで、の周囲だけ時間の流れがゆったりしている。一瞬何か足りないように思ったが、深呼吸が気付かれないように静かに息を吐くと一歩を踏み出す。
「卒研の途中なんでしょ? やっぱ早めに戻るの?」
後ろから声をかけたにも関わらず、はまるで佳主馬が居たことなんて知っていたとでも言いたげに振り向く。
「気持ち早めに。でも佳主馬が帰るまでは居るつもり」
佳主馬の手からグラスを受け取り、ありがとうと呟く。
あまりにも期待を持たせるような発言ばかりするものだから、勘違いだってしたくなる。状況は全く違ってかすりもしないが、フィアンセ代理として夏希に連れて来られたときの健二の気持ちが今少し分かった気がした。そんな大役を任されてはもしかしてと思わずにはいられまい。
「じゃあ、休みぎりぎりまで居ようかな」
「ってことは、佳主馬、彼女いないんだ」
「…なんでそうなるの?」
唐突過ぎる発言に危うく落とすところだったグラスを握り締める。
「付き合ってる子がいるなら、会いたくて早く帰るものなんでしょ?」
第三者の立場としては敏感な観察力を持っているのに、自分が当事者の立場になると全くその能力は機能しないらしい。が、佳主馬が帰るまで居るというなら少しでも長くいたいから帰る日を延ばすと言っているのに、なんて的外れな返答。
「高校生だし、いるのかと思ったけど」
「もしいたら、どうするの?」
「いたら…あたしが佳主馬の時間とったら悪いな、って」
グラスに視線を落としすっかり落ち込んでしまったような雰囲気をかもし出すに、佳主馬は苦笑するしかない。それだけ自分と過ごす時間を楽しみにしてくれていたと思えば悪い気はしないが、恋愛対象外と認識されている心境としては複雑だ。
グラスに唇を寄せ麦茶を口の中に流し込むと、の白い喉元がこくりと動き麦茶を喉の奥へ流し込む。グラスの側面を覆っている水滴は重みに耐え切れないだけでなく重力にまで負け下方に伝うと、のワンピースにぽたりと落ちた。水滴なんて結局は無着色、透明だ、色のついた飲料水ではないからか、は全く気にした様子はなく拭う気配すら見せない。
「いないから安心してよ」
視線が合うたびにふわりと薄く笑みを見せるのは、の癖になってしまっているのか。良かったと口元を緩めると、その唇をそのままグラスの縁に寄せる。
「その考え方でいくとつまり、姉にもいないってことだよね」
友達が彼氏を作っても羨ましいなんて思ったことなどなかったし、夏希が健二と良い関係を築けているのだってにとっては素直に嬉しいことだ。想いを告げられたことがないと言えば嘘になってしまうが、好きでもない相手と付き合えるわけがない。それが初対面の人だとしたら尚の事。一番に悩ましいと自身で思うことはにはなりの基準というものがあって、そのハードルが高いせいか恋愛対象としての好きという好意を抱いたことがないのだ。
とりあえず交際してみるのも手かもしれない、案外良い人で関係も良好に続いてゴールインなんてことも、無くはないだろう。無くはないが、極僅かだろう。軽い気持ちで誰かとお付き合いしてみるのもいい経験だ。しかし仮にだとしても、栄に紹介するとするなら、胸を張って会わせられる人が望ましい。
「あたしの中の基準の人がいてね」
グラスがテーブルの上にカタンと音を立てて置かれる、佳主馬が何か足りないと感じたものはなら必ずセットで持ってくるだろうコースター。コースターがないおかげで水滴はテーブルの上に跡を作りたい放題。グラスを再び持ち上げれば、そこには水溜まり。
はソファにもたれ掛かるとはぁ、と悩ましげに吐息をはいた。
「その人以上っていうのは、難しいんだよなぁ」
「それって、僕も知ってる人?」
真っ直ぐな佳主馬の眼差しに、の息が詰まりそうになる。実を言うと自分を随分越してしまった身長に、広くなった肩幅に、しっかりとした腕に、まるで知らない人を見ているような気分に陥っていた。父親の太助だって当然男性だし、なんせ父親だし、兄の翔太だって同じ男性だし、なんせ兄、だし。大学に通う半分は確実に男性である。初めて異性と接するわけでもないのに、少しどころではないが少し容姿が変わっただけで戸惑っている自分がいることに気付く。前はどうやって接していたのか全然思い出せない。呼吸の仕方を忘れたような、日本人なのに日本語を忘れたような、そんな感覚だ。
「内緒」
「…その言い回し、珍しいね」
よっぽど知られたく相手なのだろうか、そう考えると面白くない。再びグラスを手に取り水分補給をするを盗み見ながら、佳主馬も麦茶を喉の奥に流し込む。
佳主馬から見たは分かりやすい性格をしているとは思うけれど、佳主馬に対してどういう感情を抱いているかはさっぱり見当もつかない。そういう点では夏希姉や健二さんのようにもっと分かりやすかったら良かったのにと、ため息だって吐きたくなる。
でも例えばが夏希のような人柄だったとしたら、佳主馬はきっとに好意を抱かなかった。
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