本当にこの道であっているのだろうか?キバナさんから教えられた通りの小道から、ずっと言われたまま道なりに歩いているけれど、見える限りの景色は、両脇がレンガの壁に阻まれた細道が続くだけ。お店なんてありそうにない。壁が高いせいか陽当たりが悪いらしく、晴れた日の昼間なのに少しじめっと、どんよりとしている。このレンガが崩れてきたらなんて考えてしまったら怖くなり、わたしは逃げるように歩く速度を上げた。人とまともにすれ違える幅じゃないのも怖さの要因だ。お互いに譲り合いの精神を持って壁に寄り合わないと、すれ違う事は難しい。後ろから誰かが追いかけてきたら?挟み込まれたら?人に恨まれる事をした覚えもないし、ガラルに知り合いも多くはないけれど、ついネガティブに考えてしまうのは性分、仕方ない。

「っ、そこを右に、」

遠目からだと行き止まりに見える所がT字路になっているから、そこを右にと言っていた。あと少し、ようやくだと思った先で小さな影が動いく。ねずみ、いや、ポケモン。ホシガリス、だろうか。薄暗くてはっきり姿を捉えることはできないその子は、わたしに気がつくとささっと走り去ってしまった。奇遇にも、わたしも曲がる予定だった右方向だ。思わず足早に駆け出し右折しようとした瞬間、去ったはずのホシガリスとお見合いになる。危うく踏み潰すところだった。わたしが数歩後退すると、ちらりとこちらの様子を伺いつつじりじりと距離を詰め出す。落とした木の実の欠片を拾いに来たようで、中間地点にあるそれにそろそろと手を伸ばす。危険を省みず戻ってきたのは、野生であるにも関わらず人馴れしているからだろう。けれど野生を完全には捨てきれず、中途半端な警戒心をふわふわと漂わせている。無事に木の実を咥えると、シュババッと凄いスピードダッシュを見せてくれた。助走もなしに素晴らしい脚力だ。

「ふふ」

微笑ましく、思わず最後まで見守ってしまったホシガリスの後ろ姿を視線で追いかけたその向こう側に、こじんまりとした古い建物。殆どの外壁がツタに覆われている様子から、長い間ここに建っているのだという事が見てわかる。幼い頃母親に読んで貰ったおとぎ話に出てきそうな、悪い魔女でも住んでいそうな、そんな建物。
先ほどまでの不安はどこへやら。わたしは奥まで広がる手入れが行き届き人工的でありながらも、青々と茂る緑に心を踊らせていた。野生のポケモンが居座るのも当然だ。人の出入りが少なく隠れる場所も沢山あるここは、小さいポケモンたちの格好の遊び場なのだろう。
誘うように敷かれた石畳み、薔薇のアーチ、小鳥の水飲み場にツタの絡まった螺旋状の階段。カントーとガラルとでは建物の雰囲気がそもそも違う。カントーに住む女性なら、誰しもが必ず一度はガラルの街並み、建物、内装に憧れを抱かずにはいられない。カントーでは見られない風情のある景観、それだけで心が沸き立つのだ。
カラン、と店先の鈴が鳴る。あぁ、はしゃいでいたのを終始見られていたようで、くすくすと笑われている、恥ずかしい。お連れの方お待ちですよ、と出迎えてくださったのは決して悪い魔女などではなく、お店のエプロンを着用した少しふくよかな女性。案内してくださったテラス席も驚く程手入れが行き届いていて、それでいて自然の中にいるような錯覚に陥るほど多種多様の緑が植えられている。その空間に一人座っているキバナさんは、なんとも形容し難い。人を撮るのは苦手だけれども、そんなわたしが一枚パシャリとシャッターを押したい、と思ってしまったなんて、絶対に誰にも言いたくはない。

「お待たせしてごめんなさい」
「いいや、全然」
「コーヒーを、」

鞄を下ろしながら店員に注文をするわたしに、キバナさんがメニュー表を広げて見せる。

「好きなの頼みなよ」

打ち合わせの席といえば定番はコーヒー。キバナさんもコーヒーを頼んでいるようだし、これはあくまで仕事、という思考を読まれていたようだ。

「仕事って言ってもそんなに堅苦しくしたくないし、気にしないでいいよ」

そう言われてしまえば、お言葉に甘えないわけにもいかない。指先を僅かに滑らせて、本当は初めからこれを頼みたかったくせに。

「アイスティーを」

優柔不断に変更したにも関わらず、店員さんは優しく微笑む。こんなに素敵なお店なのに、せかせかと注文をしようとした事を反省する。引き受けたくせにキバナさんと暫くの間会う事になった事実を前に、気持ちに余裕がない事を悟られてしまっているのかもしれないと思うと、少し居た堪れない。
席に腰をおろしながら辺りを改めて見回す。純粋に堪能したい気持ちもありつつ、少し緊張している心を落ち着かせようという魂胆だ。

「素敵なお店ですね」
「入口が分かりにくいし入り難い雰囲気だろう? ゆっくりしたい時に、ここほど落ち着ける店はないよ」

背が高いだけで目立つだろうこの人は、変装をしてもきっとキバナさんだとすぐに気付かれてしまう。サービス精神も旺盛な分、ファンの声に応えようとしているのはSNSでよく、キバナさんと撮って貰った、と投稿している人達の写真を見ればわかり切っている。

「休みなのに悪いな」
「いいえ、個人的に引き受ける仕事ですし。わたしとしては、会社経由で受けることも可能ですが」

そうすればわたしも勤務時間に行動できて、キバナさんの休日のお邪魔をしなくてすむ。

「その場合、ちゃんに撮影代が支払われる訳じゃなくなるだろう?」
「そう、ですね」
「じゃあダメ。あと有給休暇使うのも禁止な」
「えっ」

そのつもりでいた事がバレてしまい、わたしは完全にさっきのホシガリス状態。ジリジリと、距離をとってキバナさんの出方を伺う。

「有給休暇は本人が使いたい時に申請するものです」
「わたしが使いたい時に、」
「貴重な有給休暇使わせてまで撮ってもらうのはオレさまが嫌なの。予め情報仕入れておいてよかった」
「情報、ですか?」
「カントーの人はバカンスをとらないってな」
「あ、あ〜…」

それに関しては耳が痛い。ただ、普段の有給休暇は勿論自分の為に使っている。まぁそれも、余程の用事がない限りなかなか休みをとらないわたしを心配して、職場の同僚から上司までが仕事はやっておくから休めと口うるさく言われて休む事が多いけれども。余程の用事があればわたしも休むさ!
思わず目が泳ぐ。それを見たキバナさんが口元を手を隠し、微笑する。ありきたりな仕草まで、いちいち様になる人だ。

「まぁ、もしも有給休暇をとった日にどうしてもって言うなら、その分気持ち傘増しさせて頂きます」
「それはわたしが嫌、ですね」

じゃあ、どうするべきなのか答えは決まっているよなと言いたげな瞳に、わたしは降参の白旗を両手で振る他ない。

「少し、長めのスパンになりそうですが…」
「時間はいくらかかっても。ちゃんが許す限り大丈夫なら」
「わたしは構いませんが、キバナさんは大丈夫なんですか?」

彼女さんとのお時間とか、と、そう切り出してから慌てて謝罪を入れた。友達じゃあないんだぞ!こういう所が営業に不慣れな制作部といったところだ。

「すみません、プライベートなことを失礼致しました」
「いや、あ、でもかかった分はきちんと払うから、安心して」

そのきちんと、の部分がいくらになるのか未知数であるから怖いのだが。
注文していたアイスティーを店員さんからから受け取り喉を潤す。一度話を分断するには丁度いいタイミングで助かった。やっぱり、営業のノウハウをしっかり叩き込んで貰ってから今日の日を迎えるべきだったのに、わたしときたら、今日は反省しかない。あ、このアイスティー茶葉がとても香って癒される。

「写真撮ってもらうだけじゃ勿体無い気がしてさ、本にするのもいいかなぁって思っているんだ」

楽しそうにキバナさんが話しだす。

「表紙は、ジュラルドン達が一列で並んでいるのなんてどう? 背景色はやっぱり白かな」
「いいですね、可愛いです」
「こいつらのボールを並べるのも有りかなぁと思うんだけれど」
「シンプルでいいと思います、お洒落ですね」
「そうそうオレさま今こいつらのぬいぐるみを作っててさぁ、それを表紙にするのもいいかなぁなんて」
「へぇ可愛らしい!」
「ちょっと?!」

急な大声に、私は声もなく驚き思わず息をとめた。心臓がバクバク言っている。

「は、はい……?」
「さっきから全肯定じゃん、忖度はいらないんだよな」
「どれも素敵だと思ったのでそのまま心の声でしたが…」

キバナさんはセンスが良いですから、と呟くしかできない無力さ。今日の服装もとても似合っていらっしゃる。ありきたりな言葉しか出てこないのが私の平凡な人生そのものを物語っているような気がして流石に多少の恥ずかしさもあるが、万人が羨むほどセンスが良い、その一言に尽きる。
キバナさんはファンも多ければアンチも多い。よく炎上していらっしゃるが、結局はアンチもまた一種の興味。羨ましさの裏返しが妬みとなって、いつしか刃となる。
けれど話を聞いた上で大体のイメージは私なりに伝えられそうな気はした。

「先程の案で検討されているのでしたら、表紙は手持ちの子たち、裏表紙はボール、とかにしてみてもいいかもしれませんね。あぁ、でもシンプルに白で決めるなら片面だけの方がいいのかなぁ」

手帳を横にして、デフォルメにしたキバナさんの手持ちの子たちを描いてみる。ジュラルドン、ルメルゴン、サダイジャ、フライゴン、他はえーと…、背の高さや色のバランスで並び替えて、何パターンか提案した方が良さそう。下手にシャドウをつけるよりも、そのまま配置するだけでいいかもしれない。データ上での加工よりも印刷の方での工夫が効果的かも。シルエットに合わせてエンボス加工を施して、さらにジェルコーティングでより立体感が増して、うん、いいかもしれない。

「タイトルとかはお考えで?」

ぱっと顔を上げるといつの間にだろう、上から覗き込まれており顔の近さに驚いた。手元の影で気付くべきだった。キバナさんは特に気にした様子もなく、ふわりと笑むだけ。私の気にしすぎだ。

「いいや、写真だけのつもり。あー…でも、小さく入れてもいいかもなぁ」
「入れるなら、中央、上…やっぱりポケモン達の下部に、ですかね」
「待って」

適当に丸をタイトルの代用として書き込もとした瞬間、強めの声で動きを止められた。何事だろう、何かやらかしてしまっただろうか。

「それ欲しい」
「え、」

それ、とキバナさんが指差す先に視線を落とす。それとは、ペンのこと?どこにでも売ってるボールペンだ。まさかこれを欲しいとは言うまい。じゃあ手帳?散々使い込まれている手帳を欲しいだなんて。それにこれはわたしの兼スケジュール帳でもあるので欲しいと言われても困ってしまう。あと、あるとすれば、この落書きくらいだけれど、まさか、ね。ちらりと伺うようキバナさんを見ると、そうそれ、と頷く。

「えっ、」
「欲しい、ください」
「や、キバナさんに差し上げるほど上手くないのでちょっと」
「可愛く描けてるじゃん、オレが欲しいの」

分からないけれど絶対キバナさんの方が絵は断然上手い、見たことないけれどわたしは知っている。絶対に上手い。嫌だと言い張るわたしをジト目で応戦してきたキバナさんが、ニパッと口角を上げ閃いたと言わんばかりの眩しい笑顔を向ける。何故だろう、少し嫌な予感。

「分かった、いくら出せばいい?」
「いりません! 落書きですがよろしければどうぞ!」

弱い所を突かれてすかさず破ったその一枚を差し出した。すでにわたしの扱いに慣れてきていらっしゃるとみた!流石トップジムリ、観察力は並以上。わたしの手から受け取った紙切れをまたわたしの前に置くと、ギガイアスの隣をトントン、と叩いて見せる。

「催促するの悪いんだけどさ、ここにヌメラも描いてよ」

そして、催促されるがままヌメラを描くしかないわたし。

「わたしは何をさせられているのでしょう?」
「オレさまの為にヌメラを描いてくれている」

そうだけれど、そうじゃない。ご満悦なキバナさんを前に、なんだかやられっ放しは悔しくて、わたしはチラチラとキバナさんのお顔を盗み見る。

「なに? オレさまの顔に何かついてる?」
「いいえ、なにも。けれど、ヌメラはあまり見た事がないので、参考資料を拝見してます」

一瞬きょとんとしたキバナさんもすぐに意味を察したようで、お前なぁと、気に入らないような、むず痒そうな、なんとも言えない表情で。少し子どもっぽい、今までイメージしていたキバナさんとは少し違うその表情がおかしくて、わたしもつい声をあげて笑ってしまった。

「すみません。あっ、そういえば、宝物庫のお礼を」

ヌメラを描き足したそれを今度こそキバナさんに渡して、鞄を膝に乗せる。

「別に、入館料がかかるわけでもないし」
「でも簡単に入れる場所でもないですから。あんなに高い所からワイルドエリアを見たのは初めてです。ガアタクはたまに使いますけれど基本夜ですし、朝日の昇るワイルドエリアを見せて頂いたお礼です」

鞄からリボンのついた小さな箱を出す。良かった、潰れていない。鞄にこれが入っている事をすっかり忘れて走ってしまった事を今更になって思い出したのだから、焦った。

「余裕があるなら手持ちに飛行タイプ、増やせば?」
「憧れますね、やっぱり。でも部屋で出してあげられないので」

わたしの狭いアパートでは、身体の大きい子を自由にさせてあげられない上に、万が一の事があった場合の補償が怖い。本当に手持ちとして迎えるつもりなら、耐久性に心配のない、広さがあるところに引越しを考えなければ。といっても、わたしの安月給ではとてもじゃあないけれど、今のアパートが限界なわけで。

「勿論購入したものですからご安心ください」
「なんだか悪いな、気を使わせちゃったみたいで」
「いえ、そんな。キバナさんのお口に合うといいのですが」
「あけても?」
「どうぞ」

ガラルで緑色のお菓子といえば、ピスタチオが定番だろうか。緑色でありながら濃さの異なる数種類のチョコレートに、キバナさんは眉を顰めてしまった。

「抹茶は分かりますか?」
「お抹茶! お抹茶のチョコレート?」
「カントー地方で抹茶のお菓子は定番なんですよ。緑色が濃いほど抹茶が濃く、苦味が強くなっています」

一番色の薄い、つまりはミルクの濃いプレートを一枚摘み上げる。高額なチョコレートいうほどのものではないそれが、キバナさんが手に持つだけで老舗の高級チョコレートのように見えるのだからCMもくるし、スポンサーがつくのも頷ける。

「うん、美味しい」

このチョコレートのCMキャラクターにキバナさんが採用される日が永遠にこないで欲しい。でなければ、このお気に入りのチョコレートが永遠に入手不可能となる自信が絶望的にある。

「それで、撮影日の話しだけれどさ」
「ごめんなさいっ、ようやく本題ですね」