そう言ってしまった瞬間、はっとした。は怒るわけでもなく、静かに、酷く傷付いた表情で紡ぎ出そうとした何かを飲み込むと、言葉を忘れたように口をきゅっと結んだ。今すぐにこの小さな体を抱きしめて、ごめんと言わなければ。そう思っているのに行動に移せず、ようやくが絞り出した「別れよう」という言葉にむっと流されるまま、そうだな、と投げ捨てるように吐いてしまった。部屋を出ていくに背を向け、玄関の扉が閉まる音を背中越しに聞いていた。涙は流していなかった。けれど今思えば、あの時は、間違いなく泣いていたんだ。





***




「あぁ〜〜〜〜っ」
「珍しく酷い落ち込みようだな」

遅れてきたダンデがキバナの様子を見るなり、苦笑混じりで席につく。事前に予約した個室で男三人、むさくるしくアルコールを煽る会、といっても煽ってるのはキバナだけ。ネズといったらキバナの話には空返事でまともに聞いてやってなどいなかった。

「その為の今日でしょう」

ダンデが到着したばかりだというのに、ネズはあからさまに最早帰りたいと表情で訴える。

「どんな女性と関係を持っても話題に出す事をしなかった君が、恥ずかしげもなく惚気る程大事にしていた女性だろう。どうして自ら手放してしまったんだ」
「それでこのザマとは、ドラゴンストームの名が聞いて呆れますね」
「お前ら、容赦なく傷口抉るじゃねぇの…」

オフのためおろしてる髪は盛大に掻きむしりでもしたのか、ぐしゃりといつも体裁を気にするキバナにしては珍しく、乱れている事を少しも気にかけていない。それよりも遥かに、想い人を失ったダメージが勝るらしい。

「これはソニアから聞いた話なんだが、」

深刻そうに伏せ目がちに言い出したのはダンデ。一瞬ぽかんと、キバナは口をあけて呆け顔。

「え、え、ソニアちゃん何か教えてくれたの?」
「あぁ、だが今回の件でかなりルリナは怒っているらしい」
「紹介して欲しいと言った本人が傷つけて泣かせた挙げ句相手に別れようと言わせるなんて、そうでしょうねぇ」
「ネズ…」

恨めしいとばかりにキバナがじとっとネズを見る。だが事実だからこそ反論が叶わず、はぁ、と本日何度目になるかもう分からないため息をついた。そして空返事かと思っていたら、案外きちんと聞いてくれていた事に感嘆しかない。

「ソニア的には上手くいくなら和解して欲しいなと思ってはいるが、あの子は後ろ向きだし、ルリナはおこでぴえん、だそうだ」
「おこ」
「ぴえん」
「もしも自分がリークしたとバレたら、その時のルリナの怒りがあまりに恐ろしくてならない。事は慎重に注意するよう、それが守れるなら心して聞けよ、と、誓約書にサインしてきた」
「は?」
「は?」

照れたようにダンデが笑う。

「オレは嘘が苦手だ。まぁキバナの彼女と接点がないから、」
「彼女じゃなくて、元彼女ですね」
「さっきから抉ってくれるじゃんか、ネズ…」
「事実でしょうが」
「オレはキバナの元彼女と接点がないから、」
「ダンデも言い直すな!」
「ルリナとその話題になる事もないだろうと見越してはいるが、万が一に備えボロは出さないようソニアと特訓もしてきた。任せろ」

悪びれた様子もなく元彼女と言うダンデには些か引っかかるにしろ、自分のためにまさか情報収集だなんて。ただ、だらだらと彼女に対する思いの丈を語るだけ語ってお開きになると信じて疑わなかったのに、なんてサプライズだろうか。

「…ダンデ、ありがとな」

二人の存在が身に染みる。こんな日がこようとはキバナは夢にも思っていなかった。酷い方向音痴のせいか自由人の印象があるダンデも、人に興味が無さそうなネズも、下に兄弟がいる為かいざという時はとても面倒見が良くて頼りになるのだ。

「その時はオレに脅されたとか言ってくれて構わないからさ、そんな身構えるなよ」

あのダンデでも慣れないことには緊張をするのか。いいや、自分でも嘘は苦手だと自負するほどだからだろう。それに今回はキバナとその元彼女との今後に関わる。流石のダンデも、自分の失態で関係を悪化させてしまったらと思うと気が引けるようでもある。ならば手助けなどしなければいいだけの話ではあるが、十年もライバルと友人を共にしたキバナの落ち込みようからして、放っておけなかったのだ。兄属性とは、難儀なものだ。

「単刀直入に言うが、元彼女はまだキバナの事が好きらしい」

キバナの表情が一際明るくなった瞬間、急激に顔色を悪くする。

「だがヨリを戻す気は更々無いと言っている」
「上げて落とすね…」
「元彼女は胸の事を言われたのが相当ショックだったようだ」

先程までふざけ混じりだったキバナの表情が、すっと真面目になる。

「ソニアが言うには、元彼女は、キバナは容姿が整っていてスタイルもいい。当然モテるだろうから、何故どこにでもいるような自分を選んでくれたのかが分からないと、」
「はい? どこにでもいるような自分って誰のこと?」
「話の腰を折るのはやめなさい」
「だって、」
「ダンデ、続けて」
「ずっと釣り合わない事を気にしていたが、容姿も良くて仕事もできる、非の打ち所のないキバナに直しようがある内面の事ではなく、どうしようもない外見の事を言われたのが辛かったらしい。やっぱり釣り合ってないとキバナ自身も思っていたんじゃないかと思ってしまったら一緒にはいられないと感じた、そうだ」

納得がいかない様子でキバナは声を張り上げる。

のどこが平々凡々? めちゃくちゃ可愛いじゃん。なんでそんな卑下してんの? なぁネズ?」
「まぁ好みは人それぞれですが、可愛い部類に充分入ると思いますよ」
「ふっざけんなネズ! 手出したら許さないからな!」
「なんっなんだよめんどくせぇっ」

ネズにくって掛かろうとしたキバナをダンデが制す。

「続きをいいか?」
「つ、続きあるの」

ソニアちゃん何か教えてくれたの、と嬉しそうにしていたキバナはどこへやら。しょん、と今にもベソをかきそうなヌメラのよう。

「言われた方はずっと気にするから、ヨリを戻したとしてもふとした時に思い出してしまうと思う」

よく虐めた方は覚えていないが、虐められた方は忘れないと聞く。傷つけた言葉を投げた方よりも投げられた方は、傷を癒せないまま抱えて生きていくことになる。時にはそれがトラウマとなって背負い続ける事にもなり得る。

「キバナとの事は自分から言い出した事だから尚更、元鞘なんて格好悪い真似はできない。自分よりもキバナに、内面的にも外見的にもお似合いの人が他に絶対にいるはずだから、その人といつか出会えて上手くいってくれたらいいなぁと思う、と言っていたそうだ」
「ダンデ、お前なんで泣きそうなんですか」
「話していたら感情移入してしまって…すまない…」

グラスにつぎもせず瓶の縁に口をつけ、そのままビールを流し込むダンデは同性からみても様になっていて、こいつを格好いいと思わない女も、男も、ガラルには絶対に存在しないだろうなとネズに思わせる。
キバナ、とダンデが向き直る。

「よく言っていたな、あの子は自分をナックルジムのシムリーダーのキバナとして見てないんだと、それが嬉しいと」
「ん、」
「キバナの外見でも名でもなく、本来のキバナと向き合ってくれた。けれど残念ながら、キバナの外見の派手さを気にしない理由にはならなかったようだ」

大抵の女性はキバナと自分が釣り合うかどうかなんて、そんな事は二の次三の次、最悪問題ではない。お眼鏡にかなうかどうか、傍にいられるならばそれだけでいいのだ。

「オレ、の事何も知らないで、追い詰めてたんだな…」
「そのようですね」
「他にってなんだよ…オレは、お前だけが…うぅ…」

どうしても自分に自信がない自分が先行してしまうに気付いてあげられなかった。酒の飲み過ぎか、キバナにしては本当に今日は珍しく泣き上戸とは。

「しっかりしんしゃいドラゴンストーム!」
「いっ!?」

ネズがキバナの背中を叩いて煽る。精一杯の力をこめたのか、ひらひらと痛そうにふってみせた。

「キバナ程の財力があってもそれに目が眩むわけでもなく、ハイブランドも強請らず、仕事での急なドタキャンにも怒らないでお詫びのコンビニアイス程度で許してくれるような子が今後表れるとでも?」

何度かドタキャンを繰り返してしまった事があった時に、お詫びは何がいいかキバナが聞いた事があった。彼女が欲しいというならアクセサリーでも、靴でも、鞄でも、なんでも買ってあげる気でいた。嘘偽りなく仕方なくでもなく、むしろ物で済むなら安いもんだとすら思っていた。申し訳ないその時の気持ちをどうしたらいいか分からなかったからだ。けれど彼女は、コンビニアイスが食べたいと、新商品のピスタチオの棒アイスだと、そうキバナに言ったのだ。何度か聞き返して、言われたままに本当に買って、これで良かったのか半信半疑のまま彼女にそれを差し出した時、逆に申し訳なさそうな表情で「贅沢だね」と笑ってみせる彼女の姿を思い出した瞬間、キバナの目元がじわりと熱くなった。

「あらわれ…ない…」

項垂れていた頭をあげた。

「表れない、オレさまにはあいつだけだ」

その瞳はいつもの自信に満ちたキバナの瞳。

「ま、問題はかなり難攻不落な点ですよね」

ネズがグラスを口元に寄せる。

「ハイブランドが好きなら下品ですがプレゼント攻撃でどうとでもなりますけれど、そうでもなけりゃあ芯は通って意思は固いようですし、しっかりした子ですよ」

キバナは折角持ちあっがった頭を、またもガツンとテーブルに打ち付けた。

「うぐぅ、お褒めの言葉ありがとな!」
「お前を褒めたんじゃねぇですよ」
「オレに十年挑み続ける諦めの悪いキバナなら大丈夫だろう」
「ただし相手は女性ですからね、あまりしつこいと警察沙汰になりかねません」
「む、そうか」
「うがあああぁ〜〜〜っ、お前らなぁ!?」