キバナがポケスタに上げた一枚の写真は物議を醸した。明け方のアコーディオンドアの傍で大きなクッションを枕に眠っているフライゴン。ただそれだけの写真ではあるがコメントも無く、自撮りが大好きで静止画にも関わらず騒がしさが伝わってきそうな写真ばかりだったキバナにしては、とても静かで物悲しいと思わせるような写真。それは誰しもに違和感を抱かせた。何か意図があるんじゃないの?イベントの告知?とネット上をざわつかせたが、翌日にはいつも通りの騒がしさでポケスタを更新していたものだから、気紛れみたいな?なんだったんだよ、ネタバレなし?などなど言われるだけ言われておしまい。人の噂はなんとやら。数日もすれば目新しい話題に上書きされ、すっかりと忘れ去られるのに時間は要さない。

「シェパーズパイをハーフで、それからローストビーフとマッシュルームのサラダ」

注文を受けに来た店員がだと気付いていない、わけがないだろうに、けれどもキバナは至って平常心というか普段のフレンドリーで落ち着いたいつもの皆が知っているキバナだ。は困惑しつつ勤務中だという意識もあって、言われたままに注文を繰り返す。

「シェパーズパイのハーフ、ローストビーフ、マッシュルームのサラダをお一つずつでお間違いないでしょうか」
「食後に紅茶を、ストレート」
「食後に紅茶をストレートですね」
「はい」

差し出されたメニュー表を受け取る事を躊躇するが、受け取らない訳にもいかず手を伸ばす。軽く引かれるとか、何かしらのアクションがあるかと思い警戒するがキバナの手はあっさりとメニュー表から離された。拍子抜けして思わず彼を見ると、にこりと愛想笑いを浮かべただけで直ぐに手元のスマホに視線を落としてしまった。単純にただ食事に来た、だけ。本当にそうなのだろうか。自分が自意識過剰になっているようで恥ずかしくなり、逃げるようにその席を離れた。店裏で待ち伏せされていたあの数日の事を思い返すと、単純に食事に来ただけなんて疑わしく思ってしまうのも仕方のないこと。
厨房に戻ったは、戻りで回収してきた食器の音に紛れさせ密かにため息をはく。

「ねぇ! あのお客さん、キバナさまじゃない?」
「どうだろう」
「本人だったらサイン欲しいなぁ」

主の腕を掴み興奮気味の彼女は昔からキバナのファンらしく、卒倒しそうな倍率の観戦チケットは何度落ちたとて懲りずにアタックするほどの熱狂振り。限定グッズのチェックも欠かさない彼女の手荷物はナックルジム一色。当然ナックルジムやキバナのSNS巡回も日常の一部というわけだ。そうか、本当に、私に会いに来たわけじゃないのかもしれない。ふいにはそう思った。

「あわよくば一緒に写真撮って貰いたい…」
「ごめん、ちゃんと見てなかったから分からないや」
ってそういう所あるよねぇ、有名人興味ない?」

そんなことはないけれど、と誤魔化すように笑い戻りに回収してきた食器を洗う。他に良い人ができればいいと言っておきながら、いざ自分へ明らかに向いていたベクトルが見えなくなった途端、寂しいと思うなんて、浅ましい。元鞘はなしがルールだなんて格好つけて、本当は未練があるのはの方である。けれども、自分はキバナの望むものを手に入れてあげられないのだから、それでも傍に居て欲しいだなんて我儘が許されるはずないと蓋をする。そもそも身の丈に合わないお付き合いだった。キバナと不釣合いな自分を恨むことしかできない。もまさか、出会わなければ良かった、なんて自分に酔いしれるかのような痛い台詞をこぼす日が訪れようとは、夢にも思わなかっただろう。

「裏口で誰かを待ってた男の人は結局なんだったんだろう」
「そういえば、そんな人いたね」
「キバナさまに似てた印象だったからさぁ、気になるなぁ」
「でも変な人じゃなかったみたいで良かったじゃない? 事件性あるようだったら怖かったよね」
「まぁねぇ」

当たり障りのないよう気をつけながら、相槌を打つ。
あれからルリナもソニアも、頻繁に連絡をくれるようになり会えばが心配ですと顔に書いているのだから、も思わず笑ってしまった。未練はまだあろうと苦しいのは今だけだ。別れたばかりで、純粋に好きだったのだから当たり前。友人たちと楽しみを共有して些細な毎日を過ごしていくうちにこの痛みもきっと忘れる。そしていつか、その時がきたら素直におめでとうと、キバナに言えるだろう。

さん、レジお願い!」
「はいっ」

店長に声をかけられ向かったレジ前に立っていたのはキバナで、客が少なく従業員も最低限しかいない時間帯だから覚悟はしていたとはいえ、やはり気まずさはある。唯一の救いは、キバナは現金よりキャッシュレス派なことか。お金の受け渡しでの接触を避けられる分、会計もさっと済ませられる。

「ごちそうさま」

すんなりと会計を済ませ店を出て行くキバナの大きく広い背中を見つめながら、これで良かったのだとは唇を強く結んだ。