「あぁいうこと、よくあるの?」

キャッシュレス払いと決めつけ、あとはカードをかざして貰うだけ。そこまで準備をしていたがキバナにしては珍しく、トレーに乗せたのは現金だった。ナックルシティでは昔ながらの古書店だったり小さな商店は、未だ現金のみの取り扱い店が少なくはない。その為キバナも現金を持ち歩かないわけではないが、スマートに会計を済ませたがる彼がキャッシュレスに対応している店で現金だなんて。
設定を一度解除し受け取った現金を打ち込んでいると、頭の上から声をかけられ思わず操作する手がとまる。あぁいうこと、とはどういうことか。

「先週、会計の時に連絡先教えて欲しいって声かけられてただろう? あぁいうの」

そういえば、キバナがまだ店に居た時の出来事だった。はまさか見ていると思わなかったし、聞かれるとも思っていなかった。今更自分に、声をかけてくるなんて思っていなかった。とは言え別れた身、次に何を言われようと、もう関係ないでしょ、とズバッと一言、言ってやろうと少し強めにレジを打つ。

「まぁ、かくいうオレもその一人なんだけれどさ」

レジ台に両手をつき、頂点の位置が僅かではあるが低くなる。

「ね、連絡先教えて欲しいな」

もう関係ないでしょ、の一言の使い場所を見失い喉の奥にごくん、と言葉を飲み込んだ。うんともすんとも言えず視線を逸らしたまま、お釣りを乗せたトレーをキバナの手前に置く。引っ込めようとした指先を長くてすらっとした、けれどテレビで見ている綺麗な印象よりもずっと男らしい指が摘むように触れる。
誰に言っているのだろう。理解が追いつかず乱暴に払うのも他の客が居る以上気が引け、離してくれそうにもない指先にも困り果て恐る恐ると顔を上げると、真っ直ぐにキバナがを見つめていた。まともに視線が交わったのは何日振りだろう。
連絡先も何も、消していない限りキバナのアドレス帳にはの連絡先が登録されているはずだ。教えて欲しいと言うからには、消してしまったからもう一度教えて欲しいということなのか。別れたのに、なぜ。は訳もわからず、力なく首を横に振るう。

「ダメ?」

甘えるように首を傾げる。これはキバナお得意の手段だ。お願い事がある時や催促する時は大抵こうやって首を傾げる。ダメも、何も。言葉が詰まり、声にならない。はとにかく今度は縦に頷いた。

「残念」

伏せ目がちにわざとらしく落ち込んでみせるが、あっけなくの指先を解放する。

「じゃあこれ、オレの番号。良かったら連絡ちょうだい」

そう言葉とメモを残したキバナは店を出た直後振り返り、ドアのガラス越しでに手を振る。一体どういうつもりなのか。平静を装いながら厨房へ駆け込み、普段ホールへ出る前に身だしなみをチェックしている鏡を覗き込む。わ、私だ。そう、だ。当たり前だが鏡に写ったのは。漫画のように、知らぬ間に他の人と中身が入れ替わってしまっていたわけではないし、キバナが別の誰かと間違って声をかけたわけでもない。それともここはパラレルワールド?別の、でもとても似通った世界線の私と私が寝ている間にすり替わってしまったとか?ここでは私とキバナはまだ出会っていなかった???
鏡の前で唸り声を上げるに、店長も不審がる。

「ど、どうした?」
「…いえ、なにも」

へらっと笑ってみせるが誤魔化しきれるはずもなく。

「休憩上がりました〜、て、何かありました?」
「全然何も! じゃあ休憩入ります!」

助かった!タイミングよく戻ってきた同僚と入れ替わりでは厨房を出る。休憩室に入るや否や自分のロッカーから取り出した鞄の中を乱暴に漁るが、気が急いている時に限って目的の物がなかなか見つからずに苛立ちが増す。鞄の底にあったスマホを手に取り、渡されたメモの切れ端に書かれている番号をアドレス帳の番号と比較する。番号が変わったというわけでもないようで、一体全体どういうことなのか。ルリナに相談しようか一瞬考えるが、友達想いの彼女の事だ、すぐさまどういった行動に出るかは想像に容易い。ただでさえキバナとを繋ぎ合わせてしまった自分の責任だと思い込んでいる節がある。あまり心配もかけたくないと思えば、誰に相談できる内容でもなかった。絶対に落とせないその番号のメモを、手帳のポケットに仕舞う。

キバナが、何を考えているのか分からない。