「よ、よぉ、ルリナ」

後ろ手で店の扉を閉めながら、戦々恐々とキバナは声をかけた。腕を組み待ち構えていたルリナの表情といったら、以前カブが見せてくれた能面の般若に瓜二つで、立派な二本の角まで生えているのだから思わず瞬きを繰り返す。は?角?まさか!目元を擦り、改めて見たルリナの額に角はなかった。当然だ。あぁよかった、あまりの気迫に見せられていた幻覚だ。角だけ、は。

「キバナ、あなたどういうつもり?」

あまりにも単刀直入。思わずキバナは息を詰まらせる。友人であるに関わる事だからこそ、ルリナにとっては態度も言葉遣いも多少攻撃的になるのは無理もないこと。非があるのは自分だと当たり前に自覚し引目に感じているからこそ、キバナとしても下手な言い訳などできないわけで。

「いやっ、久しぶりにここのキッシュが食べたくなってさ、もいなさそうだしいいかなぁと思っ、」
「うそ」

はっきりと言い切られてしまいキバナはあからさまにたじろぐ。下手な言い訳が早速裏目に出てしまった。ルリナの瞳は鋭さを増し、言わずとも全てを見透かされているような気にすらなってくる。実際、から何か相談を受けている可能性を考えないことはなかった。ジムリーダー会議で顔を合わせる度に、キバナ自身気が気でなかったのは確かだ。

「あの店員さんと、随分と親しげに話してたじゃない」

キバナの後方に流された視線の先には、の同僚がまだそこにいた。ルリナの形相から不穏を察知し様子を見守ってくれていたようだが、それが逆に裏目に出てしまったようにも思われる。こうもタイミングよく裏目裏目に出るものか。
別の女性に言い寄るなら言い寄るでそれはそれでいい、にもルリナにも関係のない、キバナのプライベートな話だ。けれどの周囲でそれをするのは、プライベートは関係ないとはいえルリナだって面白くはない。まさかそこまでデリカシーのない男だとは、むしろ配慮の欠けた男だと思った事など無かったルリナだが、いよいよ認識を改めざるを得ないのかもしれない。

ルリナさんとキバナさんってそういう関係だったのかな、変な勘違いをさせたっぽくて申し訳ないな。ただならぬ雰囲気に、の同僚はへらっと笑いながらレジの奥へ姿を消す。えっ、ずるい、オレ様もすぐさまこの場を去りたい。そう思いはしてもキバナにそれは許されない。変わらず腕を組んだまま、じっと自分を見つめるその視線にもう数秒も耐えきれそうになくて、やっとのことで絞り出した声はこの大男から発せられたものとは思えぬほど小さかった。ボソボソと、辛うじて聞き取れる音。キバナが俯いたところで、彼の頭部の位置が決してルリナの頭部の位置を下回る事がないからこそ、聞き取れたともいえる。

「あ、あの、さ…が、仕事辞めるかもって、聞いたんだけど…」

今一番気がかりなこと。抱えていた不安を音にしただけで、少し重荷が下りた気がした。
ルリナは呆れたようにため息をつく。

「私があなたに話すとでも?」
「思いません」
「よね」

もしかして自分に原因があってのことなのだろうか。いや、それ以外に何の理由があるというのか。裏口での待ち伏せをやめれくれと言われたにも関わらず、今度はしつこく店に通い詰め困惑させた。がそう決断してもおかしくはない。まさかそうなるとは思いもしなかったなんて、対策不足に笑えるだろう。
キバナの心配は口に出さずとも、ルリナには筒抜けだ。

「自分の胸に手を当てて、心当たりがないかよーく考えるといいんじゃないかしら?」

言い捨てるや、キバナの横を颯爽と通り過ぎる。その場をただ去る姿すらも、ルリナは流石、さまになっている。いくら帽子を目深に被ろうと、歩く姿勢が、その姿が、明らかに一般人のそれとはかけ離れているのだからルリナであるとバレもする。気付いた一般人に手を振る彼女は、先程までキバナに冷たい視線を向けていたとは到底感じさせない爽やかっぷりだ。ルリナのプロ意識には恐れ入る。
ナックルシティに来たからには、きっととは会う約束をしているのだろう。弱っているを、絶対に放っておけるわけがないのだ。責任感の人一倍強いルリナのことだ、自分とを結びつけた自身を責めているのではないかと、はたと気付き、思わず再度彼女を振り返った。ファンサを終えたルリナはキバナの視線に気付いてはくれたが、ふんっとそっぽを向くと足早に遠ざかって行く。傷つけていたのはだけじゃない、の大事な友人も、傷つけてしまっていたのだ。どうして考えが至らなかったのか。自分の事ばかり考えて、けれど自分の事すらもままならない。

「っ、はあぁ…」

軽くなった気がした重荷は、間違いなく倍になりキバナの元に返ってきた。おかえり、重荷。頭をかきむしるのも、もうこれで何度目のことか。
は、きっと、恐らく、カントーに帰るつもりなのだろう。あんなにも好きだった仕事も辞めるというわけだから、納得がいく。もしも本当にカントーに戻るというのであれば、キバナはに振り向いて貰う為カントーにだって出向く覚悟だ。けれど、が応答してくれない限り連絡の手段は絶たれる。そうしたらどうやってを探し出す?SNSの力を借りる?迷子のダンデ探しならともかく、私情な上に一般人のを晒すような真似はできない。自分の力だけで、の元に辿り着けるのだろうか。普段なら前向きで向上心の高いキバナだが、どうしてもネガティブに考えてしまい最悪の事態しか脳裏を過らない。そして最後には必ず、自分の部屋を去るの後ろ姿を思い出すのだ。
足が鉛のように重く立ち尽くしていた所に小さな子供が、キバナだ!と駆け寄ってきたものだから、キバナは咄嗟にガオー!とお決まりのポーズをとる。ファンサはちゃんとできるのにな。ままならないのは、いつものことだけだ。