テーブルに置いたはずの小説が見当たらず誰もいないダイニングとリビングをうろうろしていたを呼んだのは、曾祖母の栄だった。今年で90歳になるだなんて思えないぴんと筋の通った背中は、鉄パイプでも入っているんじゃないかと思わせる。立ち振る舞いはいつだって堂々としていて、憧れを抱かずにはいられない。栄の存在はの自慢であったし、だけでなく親戚一同の自慢であった。

「なに?」
「ちょっと」

手招きをされ、は足早に栄の後を追う。栄に一声かけられれば、大事な探し物をしていたとしてもそんなことは二の次だ。今回探していたのはたかが文庫本なのだから増してどうでもいい。









浴衣









「ほら、これ」

栄の書斎に着くと、差し出されたのは黒地の縦縞模様に朱色の牡丹柄の浴衣だった。黒地といっても太い縦縞模様は黒と濃い灰色が交互されており、完全な黒ではない。大人びた雰囲気を思わせる浴衣は、まだ高校3年生である自分には不似合いのような気がしたが、は黙ってそれを受け取った。

「約束してただろう」

夏希には確か朝顔柄の浴衣だったな、と夏希のメールを思い出す。朝顔は夏希本人のリクエストで、は結局悩んだ末に栄任せにしたのだ。浴衣なんて着る機会も早々ない、普段着ならまだしも浴衣を着るイメージが沸かなかったため、こういうのがいいという想像すら言えなかった。せめて色合いくらいは言えばよかったのだろうが、浴衣は紺が定番だと思っていたから紺がくると予想していた。脇にある朝顔柄の浴衣は紺色、きっと夏希なら定番だろうと普通以上に着こなすだろう。嬉しい気持ちに変わりはないが、夏希よりも背の低い自分にどうしてこんなにも大人びた浴衣を渡すのだろうと疑問に思わざるを得ない。 正直、似合う自信もない。
なんだかんだと思いを侍らせてはみるが、優しい笑みを浮かべている栄にの頬は自然と緩む。

「ありがとう」

そうすると栄も満足気に喜びの色を濃くする。

「そうやってもっと笑うといいのにね。可愛い顔が勿体無いよ」
「そんなこと…」

栄の言葉にの背中がしゅん、と丸くなる。表情からは自信の無さが見受けられるが、実際は自信が無いわけではなかった、何故か自信を無くしていってしまった。そしてそれを悟られまいと振舞ってきたが、いつも栄にだけは隠し事はできなかった。いとも簡単に見破られて心の内を覗かれてしまう、けれど不器用なには決してそれは嫌なことではなかった。むしろ言わずとも理解してくれる存在が居ることが救いでもあったし、何よりも嬉しかった。

「あたし、男に生まれたかった」

流石に想定外過ぎる発言に栄は目を丸くしたが、すぐに安定を取り戻すと穏やかな口調で訊ねた。

「なんでだい?」
「だってこんな性格だし。男だったら、陣内家の男児としては恥じない人生を歩めたと思う」

はとにかく心が強かった。元から根のしっかりとした性格ではあったが、高校からはじめた弓道がをさらに精進させた。

「それに、結婚願望なんてないけど、絶対お嫁にはいけないよ。大おばあちゃんの期待に応えてあげられない」

夏希は大分サバサバした性格ではあるが、明るくいつも元気な様子から女の子らしさが溢れているような気がする。加えてあの容姿、学校でも人気が高くライバルは多いらしいというじゃないか。

は普段はぼうっとしていることからマイペースな印象を持たれ、それから連想して勝手に他人には女の子らしいと思われる。しかし実際ははっきりと意見を言うし、雰囲気に流され成り行きで、ということは絶対にない。栄や他の大人からしてみればしっかり者で十分通るが、精神年齢の低い異性にとっては、可愛げのない、に含まれるらしい。
そう、問題は精神年齢の低い翔太なのである。

兄である翔太のことは嫌いではないのだが、あまりにも落ち着きがなく兄らしくないことからきつめにあたっていたら、いつの間にか兄妹仲は不仲になってしまった。その上翔太は夏希のことをまるで溺愛。劣等感というか、比べられていくうちに自信も無くなるというもの。何かすれば夏希の真似かと言われるし、早く家を出たいと思っているのも一番の理由だ。男だったら比べられることもなかったし、見た目とのギャップが激しいと飽きるほど言われることもなかっただろう。
畳の目でも数えているかのようなに栄の表情は見えていない。それを逆手にとって栄は仕方のない子だ、と苦笑する。

だから魅力的なんじゃないかい。男だったら今のその価値半減だよ」

はまるで悪さをして説教をされている子供のように、ちらりと上目遣いで栄を見る。栄の言葉の力は凄い、何故か力が沸いてくる。他の誰に同じ言葉を向けられても、きっと同じように前向きになれることはないだろう。不安げに曇っていたの顔色に赤みが帯び始める。

のこと全部理解して丸ごと受け止めてくれる人が絶対現れる。大丈夫」

別には将来のお婿さんを連れてくる夏希に張り合うために相方が欲しいわけではない、勿論栄もそれは承知だ。そういうことではなくて、はありのままのでいいんだ、ということだ。

「だからね、

の手元にある浴衣を指差し、にやりと笑う。

「お前さんは十分魅力的だから、その浴衣も絶対似合うさ」

思っていたことを当てられてぽかんと口をあけたまま呆然としていただったが、今度は違う意味でがっくりと肩を落とした。やっぱり大おばあちゃんには敵わないや、その気持ちも伝わってしまったのだろう、栄は老婆にしては随分豪快に笑ってみせた。

「夏希と違っての見る目は間違いない。その内連れて来るだろうお婿さんも、安心して待ってられるよ」
「大おばあちゃんったら、夏希じゃないんだから」

いつになるか分からないよ、とがくすりと笑った。