「夏希の素直さが、なによりも羨ましいと思うの」

だからきっと夏希の周りには笑顔が絶えないのだろう、人が集まるのだろう。贔屓をされたいわけではないが、夏希のように素直になれない性格が嫌いではあった。

も自分に正直じゃないか。嫌なことは嫌、ってね」
「うん。けど、」
「大事なところでブレーキをかけるのは悪い癖だね」

周囲の空気が読めすぎるのも考え物だ。そのため気にしていないつもりでも実は周りの目を気にしすぎて本当に大切な時、いつも本音を隠してきた。強がりな部分もあるせいで、天邪鬼に拍車をかける。

「我慢は体に毒だよ。だからって言いたい放題言って他人様に迷惑をかけていいわけじゃあない」
「うん」
「けどは、その辺の分別が出来ない程子供じゃないだろう」
「うん、そのつもり」

周囲の目にどううつっているのかは分からないが、自分ではそのつもりだ。しかし栄がそう言うのであれば自分は分別が出来ているのだと、は密かに安堵した。どんなに些細なことだろうと、栄の認印が押印されれば自信に繋がる、胸を張って生きていいという証になるのだ。

「でも、夏希みたいな性格のあたしを想像したら、気持ち悪い」
「ははははっ! 素直にも様々あるだろう?」

爆笑という言葉が相応しいほどの盛大な笑いに、気恥ずかしさを覚えたが俯く。そんなを栄は愛しそうに見つめる。のあまりにも深く考えすぎてしまう性格が、おかげでどんどん自身を追いやってしまっていることに本人は全く気付いていない。この子の半分でも翔太がもっと考えられる子だったらねぇ、と胸中で呟く。だがやはりが考えすぎている、という可能性だって完全には捨てきれないだろう。

「恐れずに、一歩踏み出してみたらどうだい?」
「…できるかな」
「できるさ」

何故栄の言葉はこんなにも力が漲ってくるのだろう。は瞳に吸い込まれるかのように、垂れていた頭を上げ正面からその言葉を受け取った。

「あんたならできる」









まだ遠い距離感









姉ちゃん」

書斎を後にしたは夕食の手伝いをするためキッチンへ向かおうとした。万里子や理香がいるとはいえ、お腹の大きな佳主馬の母である聖美に無理をさせてはならない。佳主馬は聖美に似て可愛らしい顔をしている、本人はそれを気にしているようだから言葉にはしないが。男の子であれだけ可愛いのだ、女の子ならなおの事可愛いのだろうとはこっそり佳主馬の妹の誕生を楽しみにしていた。あの無愛想で感情の読み取れない佳主馬が、妹が出来てどう変化するのかにも実は興味があったりした。
そんな浴衣を抱えたまま歩いていたを呼び止めたのは、日焼けなど気にもとめずにすっかり黒く焼けた佳主馬だった。書斎からだとキッチンへはいつも佳主馬がこもる納戸を通り過ぎるのが一番の近道。パタパタと珍しく小さな足音を立てていたものだから、いつもならPCに向かいっきり廊下に背を向けている佳主馬にも分かったようだ。

「これ」

納戸を少し通り過ぎてから振り返ったに近づき、片手で差し出したそれはダイニングの机上に置いたはずの文庫本だった。どうしてだろう、と普通なら抱く疑問を普通に抱き本に向けていた視線を佳主馬にちらりと向けると一瞬だけ見詰め合う。先に逸らしたのは佳主馬で、少し居心地が悪そう。押し付ければいいのにそういうことをせずが受け取るのを待っているのは、佳主馬が優しい子だから。
の指先が文庫本に触れる瞬間、気になるようだからと言わんばかりに補足を付加される。

「ちびたち来たらおもちゃにされるでしょ。だから確保しといた」

確かに、小さい子供は手当たりしだい自分が気になったものであれば何でもおもちゃにする。それで痛い目に合ったことがある大人たちは数知れず。しかしちびっ子たちが集結するのはどうやら明日のようで、いらぬ心配だったようだ。
けれどは自分は夏希に比べさして仲良くしていないのに、嬉しいなと自分が思っていることに気付く。夏希と佳主馬は携帯番号含めメールアドレスも交換している、勿論交換しようと言い寄ったのは夏希の方だ。同じように夏希に言い寄られ、は夏希と携帯番号含めメールアドレスの交換をしたのだ。そういうことには消極的な佳主馬とはというと、言わずもかな。

「ありがとう」

そっと佳主馬の手から文庫本を抜き取るとほぼ同時に、の携帯が鳴る。浴衣の上に文庫本を置き、ジャージのポケットからはみ出しているストラップを引き抜くと、白い携帯がずるりと這い出てきた。どうやらメールのようで、しかし画面にうつっている文字を目で追う前に、いかにも嫌そうな表情で眉間には皺を寄せる。夏希かと思った佳主馬の予測はどうやら外れたようだ。

「はぁ、しつこ」

辛うじて聞き取れた小さな声ではあったが、メールだというのにがそこまで言うとは、流石に佳主馬も驚いた。が悪態をつくとしたら翔太くらいのもので、まぁそれは自分の視点からというとても狭い世界の話なのだが。

「なに? 迷惑メールとか?」
「うーん、まぁ…」

気になって訊ねるとの返答は曖昧で、まるで知られたくないような感じ。

「聞いちゃまずかった?」
「そんなことないよ」
「男の人、とか」

僕は何を言ってるんだ、と佳主馬は自分が口にした台詞に後悔をした。がしつこい男に纏わりつかれていたとしても自分には関係ない、誰かを想っていたとしても関係ない、交際をしている相手がいたとしても関係ない。別に存在を気に留めたことだって一度もない。もしもこの状況を親戚の叔父らにでも見られたら、あっという間に夕食のネタにされることは間違いない。今年から中学1年生ということもあって、そういうことに興味を持ち始める年か〜思春期だなぁ〜とわざと騒ぎ立てるに違いない。ようやく集結し始めるのが明日で良かったと、佳主馬はほっと胸を撫でおろした。
佳主馬の考えとは裏腹に、は少し考える素振りを見せるとさらりと答えてみせる。

「まぁ、似たようなものかな」

当然ではあるが、と夏希は同い年とはいえやはり性格から容姿から違う人間である。だから分かってはいたが、あの夏希が異性の手を握ることすら躊躇われるということを知っている分、のその発言には佳主馬もぎょっとした。中学生になったばかりの少年にはあまりにも想像出来なさ過ぎる世界ではすでに生きているのだ。
いっそ茶化してくれたなら怒ったふりでもしてその場を立ち去ることが出来たのに、声を発することも身じろぐことすら気まずいこの雰囲気。そう感じているのはきっと僕だけだろうな、とを見ると本当にそのようだった。慣れた手つきで携帯を操作し終えるとぱたんと閉じる、恐らくメールを削除したのだろう。佳主馬はふいに視線をの手元に向けた。

「浴衣。大おばあちゃんがね、くれたの」
「ふうん」

なんとか逃げ道を作ることが出来て内心では安堵していた。男だとか、女だとか、そういう色恋沙汰の話題に佳主馬は興味もないし今はまだ面倒くさいと只管に思うだけだ。妹のことだって欲しくて出来るわけじゃあない、妹のことだって面倒なんだろうなと思っているのに他人の異性なんて、どうでも良すぎた。こんな適当な返事をは気にする様子もない。同じクラスの女子だったら聞いてるのとか冷たいとか言うに違いないから、やっぱりは大人なんだと思わせる。

「似合いそうだね」
「え」
「え」

の驚いたような声に佳主馬も驚き見上げると、そこにあったのは声の通り驚いた表情だった。いつもより多めに瞬きを繰り返すその姿は愛らしい。

「そう思う?」
「思わなかったら、言わないよ」

普通に似合うと思う、意味があったわけではなくその台詞にはそれ以上、またはそれ以下の価値などない。しかし意味がないのなら無価値であり一番に酷なような気もするが、は普通が一番良い気がした。

「そう。ありがとう」

文庫本を受け取った時と同じ変わらぬ表情で言うその台詞は、ありがとうと言う割りに全然嬉しそうにはみえない。それよりも何か物思いに耽っているようで、佳主馬は首を傾げるしかできなかった。