ワンセグでテレビを眺めているは、まだ意識が半分しか覚醒していない状態ですきだらけ。子供たちがばたばたと走り回る音で朝がきたことは分かっていたが、まだ起きたくなくて寝たふりを続けていた。散々アラームがスヌーズ機能を発揮するがことごとくそれを俊敏に止め、いい加減に起きろと最終的に設定しておいたワンセグが起動した。朝からびしっとスーツを着込んだお兄さんとお姉さんが並んでニュースを読み上げている。アナウンサーなんて絶対に無理だと、まだ寝ていたい気持ちを抑えきれずに唸り声をあげる。
「…この、顔は…」
目元が伏せられてはいるが、携帯の小さな画面いっぱいに映っているまるで容疑者のような少年は、どう見ても昨日一日を共に過ごした夏希の連れ、小磯健二。
OZ大混乱! 犯人は高校生の少年か!?
それから見るも無残な姿に成り果てたOZの状態。は夏の暑さに気だるそうに起き上がると、まずは布団を畳みはじめた。まさか夏希の嘘がテレビに公表されてバレてしまうとは。
Solve Me
健二の姿を見つけるのは簡単だった、健二が知っているPCの場所といえば佳主馬が持ち込んだノートだけ。納戸で二人分の背中を見つけると躊躇うこともせずに健二の背後にたった。子機で話し込んでいるのは恐らく事態を嗅ぎ付けた健二の友人だろう、畏まった様子ではなく気を許しているのがよく分かる。健二の隣に座っている佳主馬がを見上げた。
健二のこんな事態を夏希は知りもしないのだろう。非常事態でなくとも、彼氏に構いっきりでというのが普通だろうに、夏希は昨晩から侘助の後ろを金魚の糞のようにうろちょろと。夏希の計画を知っているからこそ、は余計に不自然だと感じてしまう。後先考えずに行動するから、わずか二日目にして計画は崩壊。切欠は健二のニュースになるのだろうが、夏希の態度からしてやはり時間の問題だったなと、は呆れるしかない。
「変なメール?」
『OZのセキュリティは2056桁の暗号で守られている。そう簡単に解ける暗号じゃないんだ』
メールのタイトルは”Solve Me”、私を解いて。佳主馬が僕のところにも着た、と小さく呟く。
「あたしのとこにも着た」
ようやくの存在に気がついた健二が振り返る。まだ何も聞いていないというのに懸命に首を横に振ってみせる。分かってるから落ち着きなさいと、手のひらで静止を示す。
『それを一晩で誰かが解いちまった』
「2056桁…最初の数字は?」
思い当たる節があるようで、確認するように訊ねた。
『8』
健二の顔色が少しずつ青ざめていき、片手で頭を抑える。
「それ、ボクです…ボクがやりました」
『なんだって?!』
一際大きな声が電話口から漏れるが、それは暗号を解いた健二に驚くというより解いてしまったことに対して怒っている様子。
「何かの問題だと思って、思わず」
『解いたってのかこの数学馬鹿!』
「すいませんっ」
「すげえ」
「すごい」
ハモった佳主馬との声は健二には届いていない、表情には只管焦りの色。ディスプレイに映っているOZは相変わらず落書きだらけで、見るに耐えない。
『とりあえずその電話の番号でゲストアバターとっといた。何の権限もないけど、ないよりましだろ。事情分かるまで使っとけ』
なんて行動の素早い友人だろう、健二は子機を耳元から離し小さな画面を見つめた。そこに映っていたのは二頭身のリスで前歯が不細工にも出っ張っている。ログインしますか、と佳主馬のPCに映ったアバターの不細工さといったら、小さな画面で見るよりもはっきりと分かる。
「これが、ボク…」
「今流行の、ぶさかわ、ってやつ?」
そう言われればジャンルはぶさかわな気がするけれど、落胆する健二の表情は冴えない。けれど大人しくはしていられないらしく、送られてきたアカウントとパスワードを入力するとOZ世界に仮ケンジを旅立たせた。向かった先は中央タワー。ニュースで見て分かってはいたものの、やはり昨日までの風景とは一変してしまったOZに愕然とする。落書きだけでなくゴミは宙を舞い、アバターたちの会話には部分的に文字化けが生じている。
アバターたちが集まる方向に進んでいくと、見覚えのある丸い耳をつけたアバターが両手を振って指揮をとっているように居た。星柄のマントを身に羽織り、一体何を気取っているつもりなのか。多くのアバターたちは身じろぐこともせずに、ぐるぐるとその周囲を回っている。
「あ、あの、すみませんっ」
くるりと丸耳のアバターが振り返る。可愛らしい顔をしていたはずのアバターは凶暴な顔へと変貌してしまっていたが、間違いなくそれはケンジのアバターだった。
「ボ、ボクのアバターで悪戯するのはやめてください…」
「キシシシシシッ!」
「こっ…この人はボクの偽者です! アカウントを奪われたんです! 一体誰ですかこの人!」
偽ケンジの周囲を回っていたアバターがぐるりと仮ケンジを向くと、偽ケンジと同じ表情でキシシシシと不気味な笑いを繰り返す。全部操られているアバターたちだ。数の多さと不気味な笑いに圧倒されるが、成すすべがなく口頭で主張するしかできない。
「こんな悪戯して何が面白いんだよ。ネットの中だからって何をしてもいいと思ったら大間違いだ!」
偽ケンジは聞く耳を持っていないらしい。ふわりと飛び上がるとそのまま仮ケンジを目指し一直線を描き、仮ケンジは左ストレートをもろに喰らう。拳が顔面にめり込み不細工なリスの顔が衝撃で歪む、さらには鼻血が流れ出す。
「ぶおっ!」
後方に吹っ飛ばされごろごろと転がり続けるアバターをとめる術がなく、成されるがまま。顔にはさっきまではなかった絆創膏は貼られてる。鼻血や擦り傷、絆創膏など、通常のエリアであれば有り得ない効果。
「バトルモード?! エリア限定のはずなのに!」
懐かしいドット絵のアバターのログインを確認する、先ほど健二が子機で会話をしていた友人、佐久間敬だ。顔だけのサクマから驚きの表情を読み取るには十分のバイト数。
「えらいことだ、当たり判定のレギレーションが全エリアで書き換えられてる!」
「もっと、分かりやすく言うと…?」
「OZの全ての場所が格闘場になっちまったってこと!」
ピクピクと今にも瀕死してしまいそうな仮ケンジが助けを求めるように片手をあげる。
「健二くんやれるの?」
「ボ、ボク、OMCは下から数えた方が早く、」
「なら逃げて」
下から数えた方が早いということは初心者と同等レベル、話にならならい。逃げることを促すのはだけでなく、仮想現実にいるサクマも同じ。
「逃げろ!」
「あ、あの…話し合いましょう…」
「シシシシッ!」
「話し合いましょう…」
容赦なく偽ケンジが仮ケンジを踏みつける。ベッドで跳ねて遊ぶ子供のようで、まるで他意がなさそうな様子には疑問を抱く。健二はディスプレイとキーボードに視線を何度も交互に向けるが、どうすればいいのか分からずに手は空中で待機。佳主馬の苛立ちが募る。
「ディフェンス!」
張り上げられた佳主馬の声に応えようとするが、ディフェンスのコマンドが分からない。自分には不向きだからと諦めずに頑張っていればよかったと思っていた健二を、佳主馬が押し退けた。耐え切れずにいたのはも同じ、だから佳主馬が先に動いてくれてよかったと安心をする。
「何やってんの! ちょっと貸して!」
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