「まだ負けてない」

凛とした声色で、健二がはっきりと言った。その言葉に全員が信じられないものを見るような視線を向け、唖然とする。アバターの集合体となってしまった巨大なラブマシーンを前にキング・カズマまで吸収されてしまってもなお、戦う姿勢を崩そうとしないだなんて。こんなにも意思の強そうな人には、だけでなく親戚全員にも見えなかっただろう。もしも健二を変えた人が居るとするならそれは、間違いなく栄。栄の行動に、言動に刺激されない者など絶対的に存在しないと言い切れる。

「…健二くん…」

夏希の声をは久しぶりに聞いた気がした。

「……負けたじゃん」
「負けてないよ」

微かに顔を上げた佳主馬の目元が赤くなっている。
ディスプレイの真ん前でしかもリアルタイムで、キング・カズマが負けたのを見ていたにも関わらず負けてないと言い張る健二。佳主馬は上げた顔に残る涙も拭わず、健二を睨み付けた。

「っ、負けたんだよ!!」
「だからまだ負けてないですって。何かまだ手があるはずです、絶対に」

立ち上がりディスプレイの裏まで歩みを進めると、陣内家の血筋の者達全員と向かい合わせになるように正座する。まるで対立しているような形。
今度は翔太がいい加減にしろと言いたげに怒鳴りつけた。

「なんだよ手って、数学とは違うんだよ!」
「同じです。諦めたら解けない、答えは出ないままです」

むしろどの数式を使っても一つの答えしか出すことのできない数学に比べれば、ラブマシーンを倒す手法を探す方が無限。問題は閃き、2時間でいくつの手法が思い浮かぶか、もしかしたら一つも浮かばないかもしれない。けれども健二は微塵もネガティブな考えなど持ち合わせていない様子。健二にとっては2時間しかない、のではなく、2時間もあるのだ、数学オリンピック経験者は言うことが違う。
健二を見る翔太の瞳が明らかに違う色になる。

「…お前…」
「大体こんな事態になったのはお兄ちゃんのせいでしょ」
お前、しつこいぞ!」

が下から睨み上げると、うっという翔太のばつが悪そうな声。妹に説教され不服そうではあるが悪いのは自分だという自覚はあるらしい、悪かった、と空気が漏れるような呟きがの耳に届く。まぁ今回は許してやるか、睨みを解除したに、翔太がほっと胸を撫で下ろす。起きてしまった事態をとやかく言っても始まらない、健二のいうようにまだ時間はあるのだ。
夏希は唇を噛み締めると手紙を万里子の胸元に押し付け、おばたちの間をすり抜け走り出す。

「夏希?!」

家族へ、と達筆な字で書かれているそれは、紛れもなく遺書だった。









家族









「家族へ」

万里子が手紙を開封し、ゆっくりと栄が生前に書き残した文章を読み上げていく。

「まぁ、まずは落ち着きなさい。人間落ち着きが肝心だよ」

なんとも栄らしい言葉だが、健二は成り済ましに遭った時、佳主馬に何度も言われた台詞を思い出した。落ち着きなよ、それは栄からの受け売りなのかそれとも、陣内家の血を引いているがためのものなのか。恐らく後者なのだろうなと思いながら、健二はと佳主馬の二人を思い浮かべる。

「葬式は身内だけでさっさと終わらせて、後はいつも通り過ごすこと。財産はなにも残してやしないけど、古くからの知り合いの皆さんがきっと力になってくれるだろうから、心配はいらない。これからも皆しっかりと働いてください」

増えていく嗚咽に、佳主馬はを盗み見た。泣いているのかとも思ったのだがは泣いてはいなかった、けれど目元に力を込め堪えているようではあった。気丈に振舞おうとしている姿に泣けばいいのにと言うことなど出来るわけもなく。このくらいは許してよねと、佳主馬はの左手の指先を掴むと、きゅっと軽くだけ握りしめた。一度だけが自分を見たことに気付いたが、佳主馬は万里子を向いたままを見ることはしなかった。握り返された指先に、胸の鼓動が早くなる。

「それともし侘助が帰ってきたら、10年前に出てったきりいつ帰ってくるか分からないけど、もし帰ってくることがあったら、きっとお腹を空かせていることだろうから、家の畑の野菜やぶどうや梨を思いっきり食べさせてあげてください」

栄はいつだって侘助のことを気にかけていた、だから夏希も侘助に対してしつこかった。慕っているという理由だけで侘助の後をついてまわっていただけではなかったのだ。

「初めてあの子に会った日のこと、よーく覚えてる。耳の形がじいちゃんそっくりで驚いたもんだ。朝顔畑の中を歩きながら、今日から家の子になるんだよ、って言ったらあの子は何も言わなかったけれど、手だけは離さなかった。あの子を家の子にできる、私の嬉しい気持ちが伝わったんだろうよ」

走り出して行った夏希が静かに戻り、万里子の傍に立つ。侘助に連絡でも取っていたらしく片手にはiPhoneを持っていた、表情は複雑で上手くいったのかどうか判断できない。

「家族同士手を離さぬように、人生に負けないように。もし辛いときや、苦しいときがあってもいつもと変わらず家族皆揃って、ご飯を食べること。一番いけないのはお腹が空いていることと、一人でいることだから」

は栄が居なくなったことで自分はもう一人なのだと思った、理解してくれていた唯一の人が居なくなってしまったと思い込んでしまった。だけれども佳主馬が居た、一人でいることは良くないと思い出させてくれただけでなく、佳主馬がの傍に居てくれた。そして今も。
子供たちは各々自分たちの親に身を寄せ、涙も鼻水もお構いなしに泣きじゃくる。万里子も思わず目元を拭う。

「私はあんたたちが居たお蔭で、大変幸せでした」

語り部は万里子だというのに、今にも栄えの声が聞こえてきそうな内容に目頭が熱くなる。歳の割には盛大に笑ってみせるあの笑みは、一生脳裏から離れそうにもない。

「ありがとう。じゃあね」

読み終えた万里子は手紙を綺麗にたたみ直す。狭心症を患っていたという栄、遺書をきちんと残している辺り、己の死期は悟っていたのだろう。栄のことだからそれすらも当たり前のように思える、最後まできちっと、ばらばらになりかけていた親族の輪を正してくれた。
聞き覚えのあるエンジン音に縁側に駆け寄った一同が庭を覗き込む。

「おじさん!」

さらに見覚えのある車は白いRX−7、翔太の愛車。侘助の運転するRX−7はマフラーから重低音を響かせ、よく見るとぶつけたような凹みがあった。翔太は大そう大事に乗っていたため夏希の連絡を受けた侘助が、急いで駆けつけた代償のようだ。スピードに見合った分のブレーキを踏み込んだつもりなのか、加減が分からなくなっているのか、ぐるぐるとスピンしフォークリフトに突っ込む。その衝撃でようやく止まった車はすっかりフロントガラスも割れてしまいっていた、引き攣った顔の翔太に気付いたのはと太助だけ。
血相を変えて飛び出した侘助が、必死に叫ぶ。

「ばあちゃんっ、ばあちゃんっ!!」

厳しい顔つきで前に歩み出たのは万里子。一瞬不安を背負った夏希だったが、それは無意味な心配だった。

「侘助、おばあちゃんにちゃんと挨拶してらっしゃい。そしたら皆で」

柔和な笑みを浮かべると一同を見渡しながら優しい口調で言う。

「ご飯食べましょ」