が来るまで仕事があるからと言い訳をつけては滅多に食卓へ顔を出さなかった佳主馬が、しっかりとの隣を陣取って摘んだおかずを口に運ぶ。そんな佳主馬を面白がって直美や理香がくすくすと微かな笑い声をあげると、なに、と若干不機嫌そうに佳主馬が訊ねる。べっつに〜と意味有り気な言い方に不満を抱えつつも食を進めようとするが、今度は母親である聖美と視線が合いにやりと笑みを浮かべられる。可哀想にと佳主馬のために苦笑を浮かべているのは健二のみで、それ以外は敵ばかり。

(最悪…)

これでは完璧に公開羞恥プレイ、食卓にもきちんと顔を出しもっと計画的に行動しておくべきだったと後悔だけが残る。
佳主馬が帰るまで居るとは言ってくれた、なら傍に居たいからといって無理に我を通す必要もない。己の感情のままに行動することはつまり押し付け、結果迷惑がられてしまったり鬱陶しく思われては修正のしようがない。ここは早々に食事を済ませ納戸へ戻ろう、そう思い箸を置こうとした矢先に声をかけてきたのは隣に座っている

「佳主馬」
「え」
「これ美味しいよ、食べない?」
「……食べる」

おかずを盛りつけた皿を佳主馬に手渡すと、は自分の食を再開させる。戻ろうとした佳主馬に気がついてわざと声をかけたのか、ちらりとを盗み見るが様子はいつもと変わらず、そもそもがそんなことをする理由も訳もないではないか。向かい側に座る翔太が威嚇するような瞳で自分をがん見していることには初めから気付いていたが、面倒なのでずっと気付かないふりをしていた。けれどなんとなく立ち去るタイミングを失ったような気がして、こうなったら開き直るしかないと、佳主馬に思わせたのだ。深いため息をついてみせると、翔太がガタンッと立ち上がり何か訴えるが口に沢山頬張ったおかずやらご飯やらが邪魔をして何を喋っているのかさっぱり聞き取れない。それどころか勢いよく口を開いたものだから喋ると同時に口から物が吹き出し、騒がしい食卓がさらに騒がしくなる。

「なにやってんのよばか翔太!」
「やだお兄ちゃん、汚いっ!」

妹にまで注意され、相変わらず落ち着きのない兄はしゅん、と縮こまる。佳主馬は手元の皿に盛られたおかずを口に頬張ると、結局が後片付けに立ち上がるまでずっと隣に居たのだった。









きしり、と床が鳴り片耳のヘッドフォンを外すと入り口にはが立っていた。真夏の八月、夜だって蒸し暑く薄着になりたい気持ちは分からないわけではないが、ショートパンツ姿には佳主馬も流石に言葉を失う。が高校生の頃は学校のジャージを、卒業した後だって同じジャージを変わらず部屋着兼寝巻きにしてはいていたはずなのに、それは一体どうしたのだろう。なんて聞いたら逆に疑わしく思われるのは目に見えて分かりきっている、それにしても目に毒とはこのこと。すらりと細い二本の脚がゆっくりと納戸に進入する様を食入る様に見つめてしまう、自分とは正反対の白が暗い中でも明るく目に映る。

「仕事中?」

ディスプレイを覗き込むため屈んだの顔が佳主馬の顔に接近し、我に返る。変に思われないようにと考えながらヘッドフォンを外しプログラミング中だったウィンドウを閉じるが、考えながらの行動は逆に不審に思われているような気がして不安が過ぎる。

「いいの?」
「期限までまだ余裕あるし、平気」

大丈夫だ、いつもの反応だとの態度にほっと胸を撫で下ろす。佳主馬は出来るだけ視線を落とさないようにと注意しながらに座るよう促すと、佳主馬との足が一瞬触れ合う。

「あ、ごめん」
「いや、大丈夫」

夜になっても納戸の明かりをつけないのはもうすでに習慣のような感じで、今だって2人を照らしているのはディスプレイの明かりだけ。暗闇にいとこと言えど男女が2人きりなんて、考えただけでも心臓の鼓動が早まっていく。立ち上がって明かりをつければ問題ないことなのに、意識している相手が同じ空間にいるというだけで普通の行動さえも不自然に思えてならない。

「でも、なんだかちょっと残念」

残念だなんて、にしては少し意地悪な物言い。

「どうして?」
「佳主馬が仕事してる姿見るの、結構好きだから」

ログインしたまま放置していたキング・カズマがディスプレイの中でスリープ状態になり行動を停止させた、主人の気も知らないで気楽なものだ。

「好きとか、かっこいいって言葉、多用しない方がいいんじゃない」

決してには視線を向けず、ディスプレイを見つめたまま佳主馬は言った。正直かなり嫌味なことを言っていることは分かっていた、勿論分かって言ったのだ、言い換えれば確信犯というやつだ。両想いなら浮かれることもできる言葉は、片想いでは辛いだけ、たまにむっとすることだってある。

「勘違いさせるよ」

少なくとも自分は勘違いさせられそうになる。想いが通じ合うならそれに越したことはないけれど、そうなかなか現実にはハッピーエンドなんて有り得ない。に想いを寄せている人が他にも居ると仮定して、その人たちに比べれば随分良い思いをしているのは確実で、こんなことを思うのはお門違い。だというのに、人間という生き物は分かっていながらもさらにその上その上と高望みをせずにはいられないのだ。なんて醜態だろう、情けないにもほどがある。

「そんなに使ってる覚えはないけれど」
「…少なくとも、僕の前では言ってる気がするよ」

気にしないで、変なこと言ってごめんと素直に謝ればいいものを口から出たのは拍車をかけるような台詞。の困惑を帯びた声色に、不安の表情を浮かべているだろう事は安易に想像できた。想いを寄せている女性に自分が悲しい表情をさせてしまっているのだと思うだけで、佳主馬の心は痛む。こんな時どうすればいいんだろう、なんて思う前にやっぱり素直に謝っておけばよかったのだ。人と人との関係なんてほんの些細なことで崩れ去る、人間関係だけでなく、なんだって切欠は些細なこと。前向きな事なら大いに結構だが、反対にあの時こうすれば良かった、ああすれば良かったなんて醜い後悔で歩む足を止めてしまうような出来事になってしまえば終わりだ。後悔するはめになると事前に分かっていたら、誰も負の選択肢を選びやしない。今ならまだ、まだ間に合う。言え、気にしないで、変なこと言ってごめん。

「勘違いした?」

寸前でがそう言うものだから、佳主馬はもう完全にタイミングを逃してしまった。

「してない、よ」

そんなに遠くない近い未来には必ず恋人を連れてくるだろう、その時に全身で感じる絶望感といったら想像しただけでも恐ろしい。

「なんだ、すればいいのに」
(は?)

慌てて見上げた先にあるの表情は佳主馬と同じ、自分でも何を言っているんだろうという驚きで目を丸くしていた。

(無意識に本音が出たとか? まさか、都合よく解釈し過ぎ)

ならばが佳主馬の気持ちを知っての上でそれを弄んでるとでもいうのか、それこそ地球が滅亡するよりも信じ難い。
先ほど以上の困惑での黒い瞳は揺れている。

「ははっ、な、んてね」

無理に作った笑顔で冗談を言ったつもりでいるらしいは、ふらりと立ち上がると出口の前に立った。引き止める理由もなく、何よりもお互いに気まずいという気持ちを抱いてしまったせいでこれ以上同じ空間には居られそうにない。
は一度足元を見つめると一呼吸置いて、少し引き攣った顔で佳主馬を振り返った。

「仕事の邪魔して、ごめんね」
「そんなこと、ないよ」

気まずいと思いながらも、立ち去ろうとするを目の当たりにするとまだ一緒に居たいと本音がこみ上げてくる。

姉なら、いつでも歓迎」

悪態をつくような事を言ったばかりだというのに、現金過ぎるだろと佳主馬は自身を責めた。だというのに、先ほどまで無理に作った笑顔を貼り付けていたが優しく微笑んでくれるものだから、嬉しさ反面重い自責が圧し掛かる。

(なに、やってんだろ…)