昼間は騒がしい陣内家も誰もが休息をとる夜になるとしんと静まり返り、どれだけ離れていても内緒話が聞こえてしまうのではないかと思えてしまうほど。淡い灯りだけを頼りに文庫本を読みふけっているを、隣の布団に寝転がっている夏希は観察するように眺めていた。器用にもマスカラだけ落とし忘れたのかと疑ってしまうくらい長い睫毛の影が、の目元で揺れている。肩よりも長い髪はシュシュで一纏めにされ、露になっているうなじは綺麗なラインを描き艶かしい。足先に視線を向けるとタオルケットから飛び出した白い足が、時折ぱたぱたとまるで子供のように動き出す。

(佳主馬くんだったらきっとこの状況、耐えられないよねぇ)

そう考えると楽しくてしょうがなくなる。

「なに」

怪訝そうなの視線。

「ニヤニヤして、気持ち悪い」
「酷いっ」

ごろごろと転がった先に居るに容赦なく体当たりをすると、鬱陶しそうに夏希の頬に手をあて押し返そうとする。意固地になって反発するものだから、夏希の唇はあひるのように尖り、その顔はすでに原形を保っていない。

「酷い顔」
「もうっ、意地悪なんだから!」
「夏希はいじめがい、あるよね」
「…楽しんでる?」
「そんなつもりはないけど」

ようやく夏希を向いたと思ったらそんな何気ない会話をしながらも、すぐには手元の活字を視線だけで追い続ける。をそんなにも夢中にさせるストーリーとは一体どういうものなのだろうかと興味が沸く半分、そんなにもを虜にしてしまうストーリーに嫉妬さえ覚える。今隣にいるのが佳主馬だったらどんなに続きが気になる文庫本だろうと放って、佳主馬に視線を向けるに違いない。

(うん、あたしだったらそうする!)

けれど一旦冷静になり考え直してみると、夏希とでは同じ22歳だというのに思考回路から価値観まで丸々と異なる、と思うので、だからこそやはり気になる文庫本を手放すことはしないかもしれない。というのも、女の子なら必ずといって良いほど好きだと思われるガールズトークを、とは一度もしたことがないのだ。高校生の頃では若干浮いているとも感じられた落ち着きは、大学卒業間近の年齢ともなると完璧に板につき違和感を抱くどころか魅力的。そんな自分とはまるで異なるの恋愛感が、気になりだしたらとまらない。田舎暮らしだった高校生活とは違い都会にある大学生活では、ありとあらゆる所に出会いの場が設けられているようなもの。だって声をかけられないことはなかっただろうに、微塵といっていいほど、そういう話を聞いたことがない。

「ねぇねぇ、
「……んー?」

曖昧な返答は反応すら遅い。
こうなったら強硬手段に出るしかないかと、素早くの手元から文庫本を奪いとる。そうすると少しむっと頬が膨らみすぐさま夏希の手中に収まっているそれを奪い返そうとするが、現実世界での反応速度は夏希の方が上手のよう。が取り返そうとするよりも早く枕の下敷きにしてしまうと、その上から夏希自身が覆いかぶさる。

「夏希、返して」
「ちょっとは読書やめようよ」
「子供じゃないんだから」
「折角なんだから、ガールズトークでもしよう!」

するとなんだ、と呆れたような表情とため息をはく。

「つまりのろけたいのね」
「またまたぁ〜」

つんつんとの体を突付いてみると、また鬱陶しそうな顔。けれど夏希はめげずにの身体に自身の身体を寄せ付ける。

の話を聞きたいの、いるでしょ、そういう相手」

夏希としては勿論佳主馬であることを前提としての問いかけだ、そうでなければ意味がない。女の子に間違えられていた佳主馬がついにの身長を超し、夏希や健二の想像を超越した随分な男前になった姿を目前にして何かを思わないわけがない。恋愛に関して無頓着であるであっても、佳主馬のふとした他愛もない仕草にどきっとしてしまったり、意識しすぎるがあまり行動がぎこちなくなってしまことがあるはず。なによりも、夏希から見たは佳主馬に好意をよせていること間違いないとみただけでなく、その逆もはっきりと断言できる自信があった。

「いないよ」
「…え、えぇ?」 

自信があった、がは嘘をついている様子もなくさらりと夏希の自信をぶち壊してしまった。そんなまさか、誰がどこから見ても相思相愛である二人だというのに。

「佳主馬くん、は?」
「…どうして佳主馬?」

気持ちが焦るばかりに固有名詞を口走ってしまい、しまったと口元を押さえてしまっては何かを探っていることがバレバレだ。怒られるだろうことを覚悟し恐る恐るの様子を伺うと、ついさっきまで夏希の瞳をまっすぐに見つめて会話をしていたが、丸いデスクライトの淡い明かりを見つめている。まるで本心を悟られないよう誤魔化しているように、夏希には見えた。

(でもだとしたら、自覚、ないんだろうなぁ)

普段は自分に比べて数倍大人なが、今だけは自分よりも年下の女の子のようでおかしくなる。まだ恋というものが何なのか知らない女の子、友情でもなく家族愛でもなく、抱いているその好感が何であるかに疑問すら持たず、知ろうともしない。知る切欠を与えるのは容易いだろうが、その役目は自分ではいけない気がして、そう思うともどかしさが募るばかり。

「よく一緒に居るようになったし、どうなのかなって、思ってね」

さっきまでの子供のようなやり取りではなくて、落ち着いた口調で話し出すとも自然と口を開く。

「佳主馬にあたしなんか、勿体無い」
(前より良くなったけど、やっぱり自虐的)

相変わらずの自信の無さに苦笑を浮かべるしか術は無い。でもそれはきっと好意を抱いているが故、知らず知らずの内に振り向いては貰えないと決め付け諦めているのだ。その証拠に、は否定はしなかった。直訳すると佳主馬は恋愛対象になるのか、という夏希の問いに、はノー、と否定はしなかった。
いつもなら強い意志を宿すの瞳が、今はただ不安そうに揺らいでいる。実は気づいていないふりをしているだけなのだろうか、受け止めきれないと判断し、自分の気持ちに嘘をつこうとしているのだろうか。

「彼氏、欲しいと思わないの?」

佳主馬の話題から反れた途端、は夏希の顔を見て話し出す。

「特別欲しいとは」
「じゃあ付き合ったことは? あたしに言ってないだけで実はとか!」

ぐいぐいと押し迫ってくる夏希に違和感を覚え、は身を引く。いつもならの嫌がるようなことはしてこないし、そもそもこんなにもしつこく質問攻めになんてしない。しかも何故ガールズトークなのだろう。これが真緒や加奈なら分かるか、同年代の夏希にやられては鬱陶しいことこの上ない。

「なんか変だよ。怪しい」
「えぇっ、今度は疑うの? ひどーい」
「いつもと違ったら、そりゃあ疑いたくもなる」
「気になるから聞いてるだけだよっ」

勢いよく起き上がりぴしっと綺麗な正座でに向き直ると、極めて真面目な顔つきで思いの丈を伝える。

には、幸せになってもらいたいから」
「…夏希」

かつて健二との行く末をが見守ってくれたように、夏希もと佳主馬を見守っていきたいのだ。相思相愛の2人がこのままお互いの気持ちに気付かずにすれ違い、何もなかったように親戚という間柄を続けていくなんて納得がいかない。
は、夏希が起き上がったことで隙だらけになった枕を目前に、躊躇うこともせず枕の下から文庫本を奪い去る。

「あっ」

がっくり肩を落とした夏希はばふんっ、と大きな音を立てて枕に突っ伏す。

「いたって真面目な話をしてたんですよーあたしはー!」
「ん、よく分からないけど、ありがとう」

優しい笑みを浮かべるの自身を見つめる瞳が温かくて、なんだか逆に照れくさくなってしまったのは夏希の方。にやける口元を隠すようにもう一度、枕に顔を埋めた。