高校生の夏休みは大学生よりも短い。一秒、一分、一時間、一日と佳主馬が名古屋へ帰る時間がどんどんと減っていくのを、時計の秒針が進む音で感じる。は縁側まで持ち出した座椅子にだらしなくもたれかかり、ただずっと青空をゆったりと流れていく白い雲を眺めていた。頭の中は佳主馬のことでいっぱいで、こんなにも自分の中を佳主馬が占めていたのかと実感すると、内からじわっと熱くなる。どうりで白い雲が流れているだけの風景なのに、時間が経つのも忘れるくらいずうっと眺めていることができるわけだ。

昨日の晩、佳主馬は夕飯に顔を出さなかった。仕事に集中し過ぎるせいでそんなことは珍しくもないのに、昨日だけは何故、と疑問に思ってはあたしのせいだとは己を責めた。いつからかすっかり納戸にこもった佳主馬へ食事を提供する配達係が、になってしまっていた。それまでは空腹に耐え切れなくなった佳主馬が自分で取りに来たり、呆れた聖美が持っていってあげたりと日によってまちまち。が持っていくようになったのはあの夏の日を境にだ。
単純なその作業さえには苦痛に思わせ、声をかけられるよりも早く寝床としている部屋へ退散しようと暗がりをいつもより早いペースで歩く。そのくせ遠目から納戸へ向かって歩いていく聖美を見つけると、意味も分からず哀しくなった。声はかけずとも入り口に置くだけなら佳主馬に気も使わせず自分も蟠りを感じずにすんだかもしれない。けれど近くにいると思うと顔が見たくなる、声が聞きたくなる。

気にならなかった廊下の軋みや楽しげな親戚たちの声に不快感を覚える、それに気付くと不安が増す。疑問や不安やよく分からない感情が入り混じり、ぐるぐると続く追いかけっこに終わりが見えない。タオルケットに身を包み、猫のようにぐっと体を丸め何もかも強引に押し込めてしまおうとした。

(これじゃあ、何も、変わってない)

あの頃と、何も変わらないじゃないか。
柔らかな布団の上でもんもんと思考を巡らせているうちに重くなった瞼を流れにまかせ閉じると、夢の中に落ちるのは早かった。それを知ったのは夏希に揺すり起こされた翌日のこと。泣きつかれた子供もいいところだ。お昼が近いことに加え、朝食には佳主馬も顔を出さなかったことも知らされ、憂鬱感から逃げるよう枕に顔を埋めた。このまま未練を残して窒息死するのも悪くない、そう思い動かなくなったを引っぺがしたのは心配げな夏希。何故そんなにも泣きそうな顔をしているのか、は聞けずに目をそらした。

瞳を閉じて佳主馬の声色を思い出す、初めて聞く機嫌の悪そうな低音。理由は分からない、けれど、確かに拒まれた。拒まれたのだ。

( か ず ま )

そう思うと思い浮かべた名前を声にすることに恐怖した。動くのは、その名前をかたどる唇だけ。
佳主馬の笑顔を思い浮かべては胸が苦しむ。無理をして笑っていたのか、我慢をして自分の話し相手になっていたのか、そう思うと喉を締め付けられているようで、そんな感覚を拭い去ろうと抉るように首元をさすった。

目を合わせなくても言葉を交わさなくても、同じ空間にいるということ自体を拒まれてしまっては、心もすっかり折れた。随分と無理をさせていたに違いない、自身がそう思うくらいには、佳主馬はと過ごす時間が一番多かった。いつかのように膝を抱えて顔を埋めると、世界にたった一人ぼっちになってしまったようで微かな笑い声さえ聞こえてこない。瞼を閉じるとついに真っ暗闇がおとずれ今度こそ正真正銘の一人ぼっち。
本当は期待したのかもしれない、あの夏の日のように佳主馬がきてくれるんじゃないかって。

(あたし、佳主馬の、こと)

声にならない言葉は、唇でさえかたどられない。