の呆けた表情一つで重苦しかった空気が一変し、お互いのすれ違いが見えてくる。

「健二くんには夏希がいるじゃない」

それはそうだが、人間誰しもがフリーの相手を好きになるわけではなく、信じ難いことではあるがこの世には浮気という行為が存在する。愛おしいと思う感情が絶対的で揺るぎのないものであるならば、浮気などというあるまじき意味を持つ言葉など存在しないのだ。

「だって、健二さんとはウェブチャットしてるって」
「ウェブチャット? それなら夏希とだってするよ」

苦手だというのなら随分な切欠が無い限り踏み込もうとしないのが普通。佳主馬の知らぬ間にが苦手を克服するチャンスを得ていたとしても、ちっとも不思議ではない。そもそもの問題は健二は男で夏希は女だということであって、やっていることは同じだとしてもその差はあまりにも大きすぎる。場合によっては気持ちを悟られないためのカモフラージュとして、夏希ともウェブチャットをしているとも考えられるが。まさかでも、がそんなあざとい人だなんて、佳主馬は思いたくはなかった。

「…ウェブチャットは苦手だからって、僕とは一度もしたことないよね」

だからつまりはそういうことなのだろうと、遠回しのようなストレートのような中途半端に伝えてしまったのは、本当は聞くのが怖かったからかもしれない。真実を知って今まで培ってきたに対する大切なこの感情が、修復も不可能なくらい音を立てて壊れていくのが怖かったのかもしれない、脅えていたのかもしれない。の僅かな唇の動きにでさえ、みっとも無く佳主馬は怯む。

「佳主馬の顔見たら、会いたくなる」

羞恥というものがないかと疑わせるくらいの真顔で、逆に言われた佳主馬が恥ずかしさを覚えるほどはっきりとした口調では言う。

「ディスプレイ越しは直接会うよりなんか恥ずかしくなるし、でも会うなら、直接顔、見たい」

健二が相手ならディスプレイ越しでの会話も全く恥ずかしくは思わないし、以前にディスプレイだとか直接だとかに拘るような特別な感情など抱いていない。正直言えばどうでもいい。勿論それは夏希にも言えたことで、にとっての健二の存在は傷つけたくない友人の一人ではあるが、あくまで夏希の彼氏だということ。ディスプレイ越しのどこか改まった態度は、相手が佳主馬だと想像しただけで耐え切れそうにもなくて、苦手だと嘘をついて誤魔化した。どうせ会うなら仮にたてた会う約束が遠くても、それがさらに延々と伸びたとしても直接がいいだなんて、口が裂けても言えやしなかった。当時はまさかそれが佳主馬に抱いている確かな気持ちだなんて、想像すらできずに過ごしてしまったのだけれど。

「なに、それ」

片手を額にあて項垂れる佳主馬は、大きく吸い込んだ酸素をわざとらしく吐き出し、生きてきた17年間の中で一番深いため息をついた。

「僕から伝えたかったのに、それじゃあ、先に言われたも同然だよ」

例えば下手な展開で言うと、下駄箱に可愛らしい字で放課後の時間と場所を指定してある手紙が入ってあり呼び出されるとか。十分にフラグがたっている状態なら起こり得るイベントを予想し、それなりの対応を予備しておくことが可能だ。しかしときたらそれらしい事を仄めかすわけでもなく、突然に結論を突きつけてきた。
自分の心をこんなにも揺さぶるは、今どんな顔をしているのだろうかと指と指の隙間からを捉えると、呆然と立ち尽くし驚きで瞳孔が開ききっていた。スクリーンセーバーが起動したディスプレイの灯りはまちまちで、時折り二人を照らす明かりがの瞳を不安げに演出させる。佳主馬の発言で、はじめて佳主馬の気持ちを知ったのだ。

(僕、今なんて言った? …僕から、伝えたかった?)

ではなぜ今まで一度もそれらしい発言や行動でアプローチするわけでもなく、あたって砕けるつもりで真正面からぶつかろうともせずにあの夏から四年も過ごした?今ののように誤解とはいえ、嫌悪を抱かれていると思っていながらも想いを告げればよかったではないか。

姉から言わせるつもりなんて勿論なかったけど、そもそも僕が費やしてきた四年って、そういうことだよね」
「…かずま?」

中一の夏、まだまだ男性として出来上がらない体はよりも細く、身長は到底及ばないほどに小さく、体重も軽く。大きいのはまだまだ子供のくせに驕ったような態度や、負けん気ばかり。釣り合いやしないと、心の隅ではいつもそう思っていた、強気で弱気を隠していただけ。

「自分に自信がないから時間をかけて、言い訳にしてただけなのかもしれない」

かもしれない、のではなくて、そうなのだ。成長しすぎてしまって今にもグラスから零れ落ちそうなこの気持ちを拒絶されるのが、怖かったのだ。自信をつけるには、あとどれだけの時間を費やせば、自分は納得できたのだろうか。

「言い訳じゃないとしたら、だったらいつ僕は、姉にこの気持ちを伝えるつもりだったんだろ…」

高校生という中途半端に子供っぽい響きの枠から卒業したとき?さらにただ飯食いの大学生を卒業するころ?親元から離れ一人で生活をはじめるころだろうか?実業家として名だけでなく顔も売れすっかり世間では知らぬ者などいないと騒がれてから?
それとも、の気持ちが間違いなく自分に向けられていると核心できたとき?

さいていだ。

「こら」
「っ」

ぺちり、と頬に軽くあてられたのはの平手だった。表情は、少し怒っているようにみえる。

「嫌われたり避けられたり、そういうの想定して怖いと思うのは、皆同じだよ」

自ら進んで嫌われようと努力する人なんていない。いるとすれば何かしらの理由があり、望んでいなくとも孤独を作り上げなくてはならない異色な人くらいなもので。誰だって、擦り傷と違って癒すことの難しい心が見えないところで傷つき涙を流すことに、恐怖する。

「あたしも、佳主馬に嫌われたと思って、怖かった」

悲しみの色に染められた瞳が、佳主馬を真っ直ぐに見つめる。

「佳主馬があたしに時間をくれたんだよ」
「…ぼくが、姉に?」
「もっと早くに言われても、あたしはきっと自分の気持ちに気付かないで、駄目にしてた。今だから気付けることが出来て、ちゃんと受け止められた」

佳主馬は陣内家の立派な男だと認めておきながら、自分の中にある感情にも関わらず気付かなかったのは、異性として認識していなかったから。どこかで年下だから、いとこだからと括り付け、そういう対象の相手としては考えようともしなかった。想像すらしなかった。それでも、何人かの異性に想いを告げられた時、脳裏を過ぎった姿はいつだって佳主馬で。
揃いも揃ってよくもまぁ随分な遠回りをしたものだ。まだ中学生だった佳主馬は来年には人生を左右する一大イベントでもある大学受験を控え、高校生だったは今年大学を卒業して社会人になる。人生の節目といえる一節を、他者に心奪われることなくただ想い合っていたなんて、傑作すぎる。一人で歩いていたと思い込んでいた道を、繋がってはいなくとも、本当は二人並行して歩んでいた。同じ早さで、ゆっくり、ゆっくりと。
そしてようやく、二本の道は交わり、一本になる。

「陣内、さん」

少しかたい佳主馬の声音に、つられても唇をきつく結んだ。この期に及んで、まだ不安が拭えないなんて、夏希に知られでもしたら日が暮れるまで一日中説教コースにおまけまでついてしまう。

(はやく、きかせて)

せがむ気持ちが胸の鼓動と共に加速する。

「関係が変わることでお互い不安に思わせたり、傷つけたりすることも増えると思う。それでも、あなたにもっと、近づきたい」

誰がやっても大差ない告白だというのに、相手が佳主馬だというだけでこうもみえてくる世界が違うのかと思うと、ですら恋の盲目さにはお手上げだ。あぁ、本当に自分は佳主馬以外見えていなかった。

「好きです。僕と、お付き合いしてください」

四年という本当に長い長期戦はドロー。お互いに、痛み分けということでいいじゃないか。

一言、悩む必要もなく考える必要もなくたったの二文字を音にすればいいだけなのに、喉が震える。早く返事をかえしたいのに、声にならないのが悔しくてこくこくと、しつこいくらいに頷いてみせた。

「はいっ、」

泣きそうなの笑顔が、佳主馬の胸を締め付ける。あなたの笑顔には、敵う気がしないよ。

「ごめん、今凄く、抱き締めたい」
「え」
「…だめ、だよね」
「ううん、なんで分かったのかな、と思って」

首をやや傾げながら、相性が良すぎるのかな、とが呟いたのを、佳主馬は聞き逃さなかった。

「あたしも、今凄く、抱き締めてもらいたい」

子供っぽく、へらっと笑ったの腰部から背へ腕を回し、割れ物を扱うように優しく抱き締める。もっと強く抱き締め実感を得たかったが、今の自分と比べてしまうとすっかり小さく、細いを壊してしまいそうで、それ以上は出来なかった。今はまだそれでいい。これからいくらでも、加減を知っていけばいい。抱き締め合う強さも、歩み寄る早さも、なにもかも。

互いに知っていける。同じ時を、過ごしていくのだから。









スカーレット









「それで、残りの休暇は実家で過ごす、んだっけ?」
「えぇーと…あたしそんなこと、言った? かな?」